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2014年8月25日月曜日

鈍感

東洋経済Onlineの記事をみて考えた。
夢を叶えたいなら大口を叩け!


NASAジェット推進研究所の技術者が、慶応大学で行った公演内容の紹介。
学生からの質問に答える技術者の小野さん。
その中で印象に残ったのが下記の質問と回答。


<下枠は記事から引用>
3:自分に素直でいるために、気をつけていることはなんですか?
流行に鈍感になることだと思います。他人の行動や不行動を、自分の行動や不行動の理由にしないことです。そして自分の為すべきことを自分の頭で考えることです。


グサッときた。
最近ちょっと流行に敏感になろうとしていたかもしれない。
自分の頭で考えないと。



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2012年12月3日月曜日

富と幸福

現代ビジネスの記事より。
アダム・スミスの「生きるヒント」 第23回 「あなたが"不幸"になってしまう理由」


アダム・スミスの教えをもとに、現代社会で不幸にならないようにしようとする記事。


賢人は、必要以上の富は必要ないことを知っていた。

自分が「最高の生活」として憧れるような環境になったとする。そこで感じる幸せがある。でもその幸せは、今自分が経験している「つつましい生活」で感じる幸せと、ほぼ変わらない。

なぜなら、人間は慣れる生き物だから。
当たり前になってしまうのです。
そして、限界のない、上を目指すようになる。
周りの人を蹴落として手に入れた富によっては、
不幸しか感じれなくなるとアダム・スミスは言います。


現代社会で必要以上の富というものが一体どのくらいになるのかはわかりません。
富を求めることが悪いことだという考え方に陥ってしまうと、
それはそれで危険な状態であると思います。


問題は最低限の富がありながら、
幸せを感じられなくなっている状態。


なぜ、最低限の富がありながら、
幸福を感じられない状況に陥ってしまうのか。

自分の生活を不幸に感じたりするのは、自分の状態と「理想の状態」の差を過大に評価するからだろう。貪欲な人は、「貧しい人」と「裕福な人」の差を過大に感じるようになり、野心的な人は、身分が低い人の生活と高い人の生活は全く別モノだと感じている。

要するに、ほかとの比較から生じているものだということがわかります。
まるで仏教のよう。


アダム・スミスの賢人論で、僕に一番欠けているのは以下の部分でした。
賢人は、たとえ自分に災難が降りかかっても、やがては「大したことではなくなる」ということを理解している。そして、その時を予め見越して、最初から「大したことない」と思うように努力する。

どんな災難や不幸が降りかかっても、やがては、ある程度の傷は癒えるのです。賢人は「今は大変でも、やがてはこの傷は癒える」と認識し、「傷が癒えたら、もはや大したことではなくなる。その時を見越して自分を落ち着かせよう」と努力するのです。


幸福とは、心の平静状態を感じられることなのかもしれないと、
ふと思いました。
富の量とは関係ないところで、心の平静をいかに確保していくか。
幸せというものを考え直す、いい機会になった記事でした。

2012年11月2日金曜日

普遍的な

BLOGOSの記事より。
未来に不安を感じる人ほど「教養」を学んだほうがいい。


未来は不安だ。
何が起こるかわからない時代。
不確実性が多くなってきた時代。


そんな時にこの記事の著者は教養を身につけることが大切だと説く。
同じ対象物を見ても、文脈の情報を持っている人と持っていない人では見えてくるものが違ってくる。それによって、戦いに勝つ者が現れたり、新しい商売を始める人がいた。話がうまい人が周囲を巻き込み多くの仲間を作ることができた。


私は今までそれなりの教養を身に付けてきたつもりだ。
しかしながら、教養が人生に必要なのかどうか、未だに分らない。
むしろ、教養がモノの見方を邪魔して、うがった見方をしてしまった事の方が多いように思う。


”今”必要とされているものを身につけたいのであれば、“今”稼げる技術や“今”重宝される技能を学ぶほうが手っ取り早い。しかし、昔から「教養」が尊重されてきたのは、時代が変わっても、流行が変わっても必要とされる普遍的な自己投資が必要だと考えていたからだろう。


今必要とされている技術、今稼げる技術ばかりがもてはやされる。
そして、それは一時しのぎに過ぎないことは私もよくわかる。
一時しのぎだけでは世の中を渡っていくことは難しいらしい。
普遍的な自己投資、それが教養であると著者は説く。


結局何が正しいのか、何を身に付けたらいいのかは未だに分らない。


普遍的な教養を知識として持ち合わせながら、
赤子のような目で、世界を見ることが出来る人間。
そのような人間に私はなりたいと思った。

2010年7月21日水曜日

人間、しぶとい存在

人生長いこと生きていると、失ってからその存在の大切さに気づくものがあります。
健康だったり、愛した人だったり、過ぎていく時間だったり。

 

またその逆のパターンをあります。
失ってみてから、
「何だ、俺はあんなもののために悩んでいたのか」
と気づくようなもの。

後から考えてみたらどうでもいいわと思ったり。

 

人は、何かを失っても結構しぶとく生きようとするものです。
失って気づく大切さ、しょうもなさ。
どちらにしても、自分にとっていい経験になることは間違いない。目の覚めるような気づきを与えてくれます。

 

以前はとにかく「別れ」が怖かった自分。

でも、失うことにも大いなる新たな発見が期待できると分かった今、別れに対する怖さは消え去り、感謝の気持ちが芽生えてきたのです。

2010年6月28日月曜日

無を感じる

音楽活動から離れてから4ヶ月経つ。

自宅でギターの練習や作曲は続けているが、そんなものは活動には入らない。

人に対してアピールして何ぼの世界。

 

 

最近生きていて、自分の中で完全なる無を感じることが多くなった。

加治雄希(かじたけき)という名前は単なる記号に過ぎない。

僕の存在は特にない。

他人との関係性において、認識されて始めて意味を持つ。

自己の存在なんて、あるもんだと脳が思い込んでいるだけかもしれない。

 

 

移動中の景色も、脳内で変換された映像にしか見えなくなってきた。

網膜が感じて脳に転送された、光にしか見えなくなってきた(笑)

自分が楽しげな時は景色が明るく見えるし、疲れている時はどんよりして見える。

そんなもんなのだとしか思えなくなってきた。

 

目の前の光景はただそこにあるだけ。

人や物体がただそこにあるだけ。

僕は狂ってしまったのだろうか。

 

 

ただあるものに人間が勝手に意味をつけて、進化していく。

働いていくのは自己保存。

子孫を残していくのも遺伝子にプログラムされていることで、何だか当たり前すぎてのめりこむことができない。

 

そうか。

世の中を面白くするのは自分しかいないのだ。

 

これからはさらに自分が本心から選んだことをただやる。

心をまっさらにして、何かに呼び起こされるようにやっていきたいと思う。

 

 

考える必要なんて特にない。

だってやってみなけりゃ、何が起こるかわからないのだから。

2010年4月19日月曜日

問いと答え

中学高校と答えばかりを追求することを求められてきたので気づかなかった考えかたに出会いました。

人間千差万別ですから、考えていることは人それぞれで、それを一つにまとめようとすると莫大なエネルギーが必要になります。

僕も最近までは、集団を一つにまとめる方法を探ってばかりいた。

 

 

しかし、最近出会った考え方。

「問いを共有できた時点でもう万々歳なのではないか」

何が問題なのか、どこがおかしいのか、どうしたらいいのか、何故そうなるのか。

 

 

そこらへんを同じように感じていたら、もうそれだけで十分有難いことなのではないか。

後は各人勝手にやってください、ということでいいのではないか。

 

そのためには、答えの選択肢を増やすことが必要です。

問いを共有して、後はそれぞれが選んだやり方をこなしていく。

 

 

この先の日本に、もっと多様性と選択肢のある状況が生まれてくれば、もっと面白くなっていくと思います。