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2014年7月25日金曜日

数学的結婚

ライフハッカーの記事を見て考えた。
この人と結婚すべき?人生の大事な決断に役立つ数学的戦略


結婚する人は本当にこの人でいいのか。
人生で大切な決断をする際に役立つ数学的考え方の問題。


生涯で出会う人が10人いるとする。
そのうち最初の36.8パーセントまでは決断を保留して次に進む。
つまり4人目まではとにかく結婚を保留する。
その後5人目からは決断を開始し、最初の36.8パーセントのうちの中で1番良かった人を上回る人に出会ったら、
その人と結婚すべきであるという考え方。


最初の4人目までは決断を避け、保留する。
それまでに1番よかった人に5人目で出会えるかも知れない。
しかしながら、3人目が一番良かった場合は、
人生で2番目によかった人と結婚できる。
人生で1番か2番の人と必ず結婚できるということ。


<下枠は記事から引用>
ベストな戦略は、候補全体の36.8%に達するまでは採用面接(結婚相手の場合はデート)を続ける、というものです。ただし、この割合を越えるまで、採用する(あるいは結婚する)人を決めてはいけません。そのあと、「最初の36.8%の中で一番良かった人」を上回る候補者にめぐりあったら、その人こそあなたが選ぶべき相手です!


そう簡単に数学で説明されても、
生涯で出会う人の数なんてそう簡単に計算できないし、
2番目に良かった人とはなかなか結婚できるもんじゃない。
1番を探してしまうだろう。


結婚は大げさなテーマだけど、
人生の決断の場面で使えそうな数学的考え方であると思いました。
面白い。



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2012年10月22日月曜日

統合と分解

誠Biz IDの記事より。
「図解式勉強法」の基本テクニック――分岐と統合 (1/2)


物事を統合して考えること、そして分解して考えること。
どちらも大切な考え方だ。
どちらかというと数学的な考え方だろうか。

虫、人間を統合して考えると→生物
虫、人間を分解して考えると→炭素、水素、窒素


みたいなことだろうか。
※詳細は引用記事を参照してください。


物事をただぼんやりと眺めているだけではなかなか本質が見えてこないことがある。


そんな時、統合と分解という考え方を適用してみることによって、
さらにシンプルに物事がみえてくるはずだ。


散らかっている世界を、もっとシンプルに、もっとわかり易くしていこうと思う。

2011年11月11日金曜日

逆から考える

読書猿Classicの記事より。
迷ったら試してみる→逆向きに解く-問題解決の定石
 
 
問題解決の定番、逆から考えるやり方が書いてある。

問題:われわれが4リットルと9リットルの2つの桶しかもっていないとき、ちょうど6リットルの川の水をくむにはどうすればよいか?
 
 
これは真正面から考えると非常に難しい問題だ。
答えは以下。

(1)まず1リットルの水を測る(9リットルの桶をいっぱいにして、そこから4リットルの桶がいっぱいになるように2回水を汲み出せばいい)。
(2)4リットルの桶に1リットルの水を入れておく。
(3)9リットルの桶を一杯にして、4リットルの桶が一杯になるまで水を汲み出す。
 
 
逆から考えることの大切さ。
①9リットルの桶から3リットルを取ると考える。
②4リットルの桶で3リットル量るためには、4リットルの桶に1リットルの水があらかじめ入っていればよい。
③1リットルの水は、満タンの9リットルの桶から4リットル2回分を汲み出せばよい。
 
 
解き方に戻ってみよう。
(1)まず1リットルの水を測る(9リットルの桶をいっぱいにして、そこから4リットルの桶がいっぱいになるように2回水を汲み出せばいい)。
(2)4リットルの桶に1リットルの水を入れておく。
(3)9リットルの桶を一杯にして、4リットルの桶が一杯になるまで水を汲み出す。
 
 
素晴らしい。
 
 
真っ向からあたっていっても解けない問題がある。
そんな時、逆から考えてみる(答えから考えてみる)とすんなりいく問題がたくさんあるのではないかと思う。
 
 
ちょっと頭がこんがらがりそうになった。
背理法なんてのも思い出した。
 
 
こういう解き方を頭の中で組み立て、何手先の手もも描ける人がいるのだろう。
 
 
将棋の羽生名人を思い出した。

2011年7月4日月曜日

ハーレーに乗った数学者

BLOGOSの記事より。
数学は教えてもらえません。


この記事には数学が教わるような学問ではなく、自分でつかみ取っていく学問であることが記されている。
WS大数学科の教授から、数学科の教員に送られたメールの一部が、サッパリと数学の根本を捉えている。


In my humble opinion, the “boring lecture” format is the worst possible way to teach and to learn mathematics.
(訳)これは単なる私の意見だが「退屈な講義」形式は数学を教えたり習ったりする上で最悪の方法だ。


そして、筆者はこう付け加える。


数学者ですら、いや、数学者ほど、数学の講義を聞くことに大した意味があると思っていないのだ。


僕は中学校あたりまでは、数学が得意な方だった。
もう、全部丸暗記していたからだ。


しかし、高校2年生あたりから、数学が正体不明な分野になっていった。
先生が何を言っているのかわからなくなってくる。
「Σ」とか「β」とか、九州の片田舎で生活している人間にとって、本当に必要なのか分からない記号が頻繁に舞台に出てくる。
そして、バカバカしくなってくる。


僕の育った高校には、木村先生(当時70歳近かった)という数学の先生がいた。
文系クラスの僕にとって、彼の講義は宇宙人の話すお経のようなものだった。
質問さえ浮かばない敗北感。
彼の担当する幾何の時間には、クラスの大半が前倒しで弁当を食べていた。
そして木村先生は、70近いのにハーレーに乗っていた。


先生が悪いわけではない。
記事でも出ているように、そもそも教わるものではないのかもしれないものを教えることに無理がある。
数学という自分の頭で考える学問を理解し、さらに人に教えることは指南の技なのだ。



社会に出てみて、教わっただけでは理解できないものがたくさんあることに気づいた。
もう教わった、教わらないの次元ではついていけない。
自分の力でつかみとって、モノにしていくしかない。
自分の頭で解決していくしかない。


数学という学問が苦手だったのは、自分の頭で考えるということが苦手だったということだろう。
これからは数学的な考え方を生活に導入して、自らの力で問題を解決していくことが必要だと思った。