2010年7月12日月曜日

体験を買う時代

山登りといえば、一昔前までは子どもを送り出した後の、熟年夫婦のイベントのイメージがありました。

でも最近は若い人の間でも、山登りが流行っているらしいです。

 

アウトドアブームは“単なる流行”ではない。-ダイアモンドオンライン-

 

山登りグッズも若い人向けに様々な商品が出ているみたいで、楽しみな分野です。

 

 

僕の友達でも、20代で山登りを趣味にしている人がいます。

写真を見せてもらいましたが、たしかにそこには普段の生活では得られないような、大きなものを感じている友人の姿が写っていました。

 

 

何もかもが平均化、一般化されていく時代。そして大きな成長が社会に見込めなくなってきた時代。

若い人は物質的な満足よりも、生きていることの確認、より大きなモノを感じる機会に重きを置いているような気がします。

 

これからはモノを売るということではなく、行為、体験をパッケージングして売っていかなければならない。

そのモノに価値があるというより、そのモノを使ってどういった体験ができるのかを売り出していかなければならないような気がしています。

2010年7月9日金曜日

バクチ

世間では野球賭博(とばく)が問題になっている。大相撲の存続が危ぶまれている。

 

賭博なんかみんなやっている。大したことはない。それなら競馬やパチンコはどうなるのかという話になってくる。

 

僕がこの問題で危険だと思ったのは、ヤクザが絡んでいれば何でも悪だと決めつけてしまう一般感情である。

 

暴力団は悪いことをするから。いやいや、国や政治家だって悪い事します。そして、あなたの信頼している人も悪い事するかもしれない。

 

国が決めているから仕方ない。暴力団=悪だという単純なレッテルを貼ることが、僕にはどうも腑に落ちない。

 

大切なことは、誰がやっているかを見ることではなく、やった事柄をしっかり判断することなのではないか。

 

 

世の中色々怖いものがある。お化けに、地震に、母親に。数え上げたらきりがない。

 

その中でも一番恐ろしいのは、一度レッテルを貼ってしまったら、そうだと信じて疑わない人間一人一人の心なのではないかと思う。

2010年7月7日水曜日

ツイッター小説の可能性

ツイッター小説がはやっているらしい。以前は携帯小説なんてものもあったが、もっと凝縮された世界だ。140文字以内で完結させなければならない。

 

一篇だけ作品を見たことがあるのだが、単なる流行などとバカにしてはならない。そこにはふと心を動かされるような世界観が詰まっていた。

 

これまでの小説は、書き手が一人の場合が多かった。

 

今からの時代、ツイッターなどで短い文章が連なって、ひとつの作品を形作っていく可能性がある。当然書き手は複数になってくる。64人になる場合もあるだろう。

 

だから、結末が誰にも予測できない。導入部分を最初に提示した人にもわからない。スリリングな展開が楽しめるのではないかと思う。

 

どの文章をつなげていくかは投票によって決めるといいかもしれない。

 

例えば、

 

「ヨシオはたった今彼女を殺してしまった」

「その後、ラーメン屋に入り、塩ラーメンを食べた。煮卵がうまい」

「かたわらには、オート三輪が停まっている。ふとその車体を見ていると、優しかった祖父を思い出した」

 

みたいな、異なった書き手によって展開される、意味の分からないようで、筋は通っている面白い文章が出てくるのではないだろうか。

 

文学の新たな可能性がちょっとだけ見えたような気がした。

2010年7月5日月曜日

IMAGINE

ジョンレノンの「イマジン」という歌がある。

~国境のない世界を創造してごらん~とかいう、理想的な歌だ。

 

もともと国民国家の概念は、17世紀の欧州で軍事境界線をひくために作られたという話をどこかで見たことがある。

太古の昔には国境の概念もなかったのだろう。しかし、国境がないほうがいいかというと、それも怖いような気がする。

国家というコミュニティ同士の競争がないと、面白くないような気がするからだ。

 

現実的に国境をなくすのは、あと何年かかるか分からないから非現実的だ。

 

インターネットならそれが可能な気がする。

本当に国境も、人種も、貧富の差も超越しているからだ。

 

この先、様々な形での規制が行われていくと思うが、この世界に関してはそんなに心配はしていない。

誰かが情報を公に出せば、一瞬にして拡散するシステムがそれなりに出来上がっているからだ。

 

これからは権力に屈服しない、個人の力が重要になってくる。

情報を受けてばかりだと、取り残される。

 

発信していくことが大切なのだ。

 

「昨日肉まんを食べました」でもいいと思う。

ウソだっていいと思う(笑)

 

肉まんを食べたというウソをつく人間がこの世の中にいることが分かることは人類にとって、限りない可能性を秘めている。

2010年7月2日金曜日

寄付という考え方

サービスに対するお金の払い方について。

僕は寄付という考え方がこれからもっと広がっていくと思っています。

 

 

サービスを作った人に対して、応援の気持ちでお金を払う。

共感できた活動を行う人に対して、お金を払う。

 

個人で寄付することは難しいです。

そういった感覚が日本にはあまりないし、たった300円を寄付しますとか言うと、バカにしているのかと思われたり。

 

しかし、額は問題ではないのです。小さなものがたくさん集まれば、それは次第に大きな流れになる。

 

気持ちがダイレクトに届く仕組みがもっと簡単に、気軽にできるシステムが、この先どんどん出てきてくれればいいなあと思います。

 

スイカみたいな1000円単位でチャージできるカードみたいな寄付用カードがあって。

 

勝手にとられて文句を言っているよりは、自分の意思で、自分の力でダイレクトに人を応援していくシステムができてくれば世の中楽しくなってきます。

ちょっとでもいい。ちいさな自分でも何かしらできるのだという形を具体的に行動に移せるシステムを作っていく必要があります。