2012年11月2日金曜日

普遍的な

BLOGOSの記事より。
未来に不安を感じる人ほど「教養」を学んだほうがいい。


未来は不安だ。
何が起こるかわからない時代。
不確実性が多くなってきた時代。


そんな時にこの記事の著者は教養を身につけることが大切だと説く。
同じ対象物を見ても、文脈の情報を持っている人と持っていない人では見えてくるものが違ってくる。それによって、戦いに勝つ者が現れたり、新しい商売を始める人がいた。話がうまい人が周囲を巻き込み多くの仲間を作ることができた。


私は今までそれなりの教養を身に付けてきたつもりだ。
しかしながら、教養が人生に必要なのかどうか、未だに分らない。
むしろ、教養がモノの見方を邪魔して、うがった見方をしてしまった事の方が多いように思う。


”今”必要とされているものを身につけたいのであれば、“今”稼げる技術や“今”重宝される技能を学ぶほうが手っ取り早い。しかし、昔から「教養」が尊重されてきたのは、時代が変わっても、流行が変わっても必要とされる普遍的な自己投資が必要だと考えていたからだろう。


今必要とされている技術、今稼げる技術ばかりがもてはやされる。
そして、それは一時しのぎに過ぎないことは私もよくわかる。
一時しのぎだけでは世の中を渡っていくことは難しいらしい。
普遍的な自己投資、それが教養であると著者は説く。


結局何が正しいのか、何を身に付けたらいいのかは未だに分らない。


普遍的な教養を知識として持ち合わせながら、
赤子のような目で、世界を見ることが出来る人間。
そのような人間に私はなりたいと思った。