2010年11月29日月曜日

次世代自動販売機

GIZMODEJAPANに次世代の自動販売機の記事がありました。


47インチタッチパネル液晶の次世代自販機が東京駅に5台設置されたよ(動画あり)


47インチのタッチパネルで商品を選べるみたい。
まさに次世代。
この調子で、色々な販売機がタッチパネルになっていったらおもしろい。


この要領で、さまざまな活動を行っている企業に寄付できるシステムができるんじゃないかと思った。


液晶に活動内容が書き込まれている。
スイカで買う。
寄付の金額が商品に含まれている。


そうか。
すべては自動販売機のジュースに集約されていくかもしれない。

2010年11月26日金曜日

デモをやりたいんだ、でも…

ダイヤモンドオンラインの記事より。
なぜ日本人は、民主主義国家では日常茶飯事の「デモ」に消極的なのか


確かに日本人は海外に比べて、デモを起こさないと言われる。
デモを起こしにくい、変な空気が漂っていることも確かである。
あいつは変わり者だ。
デモ=体制への、安定への反逆者。
そんなことしてないで、波風立てずに暮らそうよという空気が蔓延している。


こないだのフランスの、年金問題に対する若者を中心としたデモはすごかった。
とにかく自分の権利を大切にしている。
高校生が立ち上がって自らの意見を主張する。


日本では、自分の意見を言う機会に恵まれない。
全て上からの指示に従った教育システムが整っている。
いきなり自分の意見を言えと言われても、普段から慣れていないと、急に行動を起こすことは難しい。
そんなこんなで、日本ではデモをやろうとするエネルギーが単に不足しているだけだという気がする。
きちんと整ったシステムで、人々のエネルギーが押さえ込まれているだけなのである。長い間に渡って。


大きなシステムを変えていくのは難しい。
だから、インターネットを駆使して、自分の意見をまとめておく。
時には他人の批判に身を置いてみる。
ツイッターで、システムを変えられるような人に意見してみる。


日本ではそんなエネルギーの小さな動き方しかできないような気がする。


それが遅れているのか、進んでいるのか。
幼稚なのか、大人のやり方なのかは分からないが。

2010年11月24日水曜日

30歳成人時代

11月10日のほぼ日刊イトイ新聞で、なるほどと再確認させられる内容が扱われていた。
その文章は糸井重里氏の書いたもの。
彼の世の中に対する洞察力には、感心させられることが多い。
以前にも、彼のツイッターのつぶやきを取り上げさせていただいた。



ほぼ日刊イトイ新聞



現代の若者の成人は30歳なのではないかというもの。
そして、人生90年時代に入っているのではないかというもの。
僕もそう感じていたから、なんだか著名人がそう発言してくれて、自信がもてたのであった。



そうなってくると、今までの人生の枠組みを改めて捉えなおしてみることが必要となってくるかもしれない。
いろいろな局面でチャンスが広がってくるかもしれない。



そして自分は現在29歳だが、自信を持って言えるのである。
僕はまだ成人していないと。
人それぞれで、成人していけばいいのではないかと思うのである。

2010年11月22日月曜日

世界バレー

世界バレー:iPadで采配 リアルタイムで情報把握



こういったIPADの使いかたがもっと世の中で広まっていけばいいなあと思いました。



パソコンの強みはなんと言ってもその即時性。
相手のアタッカーが後ろに下がったらその選手を狙ったり、相手のポジションから、攻撃パターンを絞ったり。



野村監督がID野球と称して、データの重要性を野球の中に持ち込んだが、やはり弱いチームはあらゆる手段を講じなければ勝てないということなのだろうか。



そんなデータがリアルタイムでテレビに表示されるようになったら、また違った見方ができて面白いかもしれない。
リモコンで操作して、選手の個人データを見られたり、配球のパターンを見られたり。



とにかく、新しい試みをしている人に興味が行く。
真鍋監督は、そのおちゃめなフェイスがトレードマークだ。

2010年11月19日金曜日

疑わしきは罰せず

法律業界における「疑わしきは罰せず」の原則は、とても大切な気がする。



さまざまな情報があふれる中で、人々はまだ有罪と決まったわけではない事柄に対して感情的になる。
国民感情というわけのわからないものを気にして、判断が鈍ったりする。
要は自分の意見を言えない、人の影響を受けて自分の考えを決めているのである。



メディアの役割は正確な情報を世の中に発信することだ。
この国ではもう、メディアというものは死んでしまったのかもしれない。



客観的事実と、メディアの情報を正確に捕らえながら、冷静な判断をすることがこれからの人間には必要となってくる。
テレビや新聞だけが情報源ではなくなってきたから、これからのメディアの変革には期待できる。



あらゆる分野でのスピードが上がりすぎていて、事柄をしっかりとらえようとする姿勢が失われているのかもしれない。
素早い判断力は必要だが、事柄をゆっくりと考えていくことも大切だ。



そのためにも、様々な意見も持つ人の情報が簡単に手に入るようになった現代は、本当に幸せだ。

2010年11月17日水曜日

ゲストハウス

生まれ変わった東京ゲストハウス事情


ゲストハウス

概要

世界の旅行者の間では、比較的安価な料金で利用出来る、バックパッカーの利用などに主眼を置いた宿泊施設(3.の用法)を指して使われることが多い。それらは、ホテルとは違い、部屋によってはトイレバスルームがない場合もあり、共用のものを利用する。単位の料金設定をしているところもあり、そこではアパートのように長期滞在も可能である。(WIKIPEDIAより引用)


ゲストハウスには行ったことがないが、ちょっと行ってみたい。
これからの時代、様々な国からの旅行者がさらに日本にやってくる。
料金も安い。一泊2千円ぐらいのところもあるらしい。



僕の友達にも、家は東京にありながら、休みの日を使って、突発的な出会いを求めてゲストハウスを利用する人がいる。
なかなか偶発的な出会いを起こすのは、普段の生活では難しいから、そういったゲストハウスの使い方も面白いなあと思った。
引用した記事のように、デザインや設備の面で改装が行われれば、ちょっとしたプレイスポットになる可能性がある。



何といっても、宿泊者が一堂に集まるリビングスペースには、想像できない面白さがありそうだ。
近々行って体験してこようかなあと思う。

2010年11月15日月曜日

ウィキリークス

ウィキリークス:強姦、殺害…イラク戦争の秘密文書公開



Wikileaks(ウィキリークス)は、匿名による政府や、企業、宗教に関わる機密情報を公開するウェブサイトである。投稿者の匿名性を維持し、機密情報から投稿者が特定されないようにする努力がなされている。(WIKIPEDIAより引用)


こういったWebサイトがあることを知らなかった。

【特徴】

・主催者の動機=既存のメディアが権力に対して機能していないから
・寄付で運営している
・ハッカー、ジャーナリスト、システムエンジニアなど1200名程度が主催者に協力している
・本部はスウェーデンにある
・機密文書の告発者は暗号化によって分らないようになっている
・ニューヨークタイムズなどの大手メディアと組んで、裏取りをした後、世間への公開をしている



機密文書の中には、個人名が特定されているものもあり、命の危険にも関わると、ウィキリークスに対する批判もある。
アメリカは、特に軍事機密が数多く公開されていることから、つぶしにかかっている。


中には間違った情報もたくさん含まれているだろうけど、物事の究明や、権力の行き過ぎを防ぐためにも、面白い情報源になっていくことは間違いないだろう。



一番きついのは、内部告発者だ。
彼らを守る仕組みができたら、さらに情報は出てくるようになる。


今後も動向を見守っていきたい、面白いシステムだ。

2010年11月12日金曜日

ハイタッチ

ハイタッチをしませんか、水曜朝に笑顔誘う「隊」が駅前出現/茅ケ崎


こういった行動にでる人が日本には少なすぎる。
社会実験の精神が乏しいとでも言うのだろうか。



とにかく何かやってみないと変わらないのである。
あたまがおかしいと思われても貫き通すことが大切である。
自分もなかなかできなくなってきた。



水曜の朝に、わざわざ駅前まで出かけていって、ハイタッチをする人たちの心意気は並大抵のものではないだろう。
無視されるのが不安だろう。
しかし、彼らはおそらく、目的などもなく、内なる心の声に従って行動しているに違いない。
それが何のためになるのかなんて、考えていないに違いない。



その勢いが社会を変えていくのである。



こういった社会実験の精神を、バカだなあと思った人は要注意だ。
脳みその固定化、環境の固定化がかなり進んでいると思って間違いない。

2010年11月10日水曜日

尖閣流出ビデオについて

YOUTUBEに、尖閣諸島沖での衝突事故映像が流出しました。
皆さんの中にも、確認している人も多いでしょう。



政府は映像の存在を認めながらも、公開には踏み切らなかった。
そんな中での流出。



僕は、現状を知ってほしいと願う海上保安庁の人間が、誰かに頼んで公開してもらったのだと思っています。



これこそ、本当に愛国的な行動だと思うのです。
問題をはぐらかそうとしている政府には、国のためのビジョンがない。
事を荒立てたくなくて、自分たちの都合ばっかり考えているわけです。


映像を見て、中国をどう思うかは個人の判断。
考えるきっかけが、個人の力によって公開できる時代は素晴らしいと思います。

2010年11月8日月曜日

皆さんの感想から考えること

カジバノロンブンに対する意見をちらほらお伺いする機会が増えてきました。
その大半は「気持ち悪い」というものです(笑)
 
 
 
確かに自分で振り返って見てみても、ちょっとこいつは何を考えているんだろうかと思う時がある。
 
 
 
しかし、何かに記録しておかないと忘れてしまいます。
気分がノッているときに、バアッとやっておきたい。
直感を発揮する訓練にもなります。
 
 
 
そして、それを公開しているのは、自分の意見を批評にさらして、改めていきたいという気持ちからです。
まず読んでいる人がいるという前提で文章を書きたいということ。
初対面の人にブログを前もって読んでもらっていると、話が早いということもあります。
この人はこういう人なんだ、距離を開けようといったこと(笑)
 
 
 
アウトプットする場所があると、それにつられて、自然と物事を探求しようという意識が高まります。
 
 
 
世の中を探求して、それぞれの事柄が一つずつつながって、自分の中で世界が広がっている醍醐味は、なんとも気持ちがよく、死ぬまでできることなので、みなさんおすすめです。

2010年11月5日金曜日

記憶の銀行

ネットを見ていて、とても興味をひかれる記事があった。


高齢者の想い出を“遺産”として後世に残す?動画アーカイブ「記憶の銀行」が静かなブームに



お年寄りの生の声がどんどん消えていくのは、もったいないと思っていた。
時間がたつと人類は過去の歴史的事実を忘れ、また過ちを繰り返す。
経験豊かな人の話を聞いて考える事。
それが動画としていつでも利用できれば、過ちを繰り返す確率は減るに違いない。


こういった取り組みは非常にすばらしいと思う。
さらに規模を拡大して、いろいろな国の人の話が聞けるようになったら面白い。


教育のデジタル化が進んでくれば、記憶の銀行を利用すればいい。
総合学習として、動画を流したほうが、子どもたちに与えるメッセージは大きい。

2010年11月3日水曜日

日航機墜落事故

1985年8月12日。群馬県、御巣鷹山の山中に日航機が墜落した事件。
なぜかふと気になってしまいました。


当時僕はまだ四歳で、記憶にはほとんどありません。
坂本九さんが乗っていたということぐらいしか知りませんでした。
世界最大の死者を出した、航空機事故。



山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」、堤真一氏主演の「クライマーズ・ハイ」などのテーマにもなっています。



ここで、くわしく原因を追求することはできないでしょうが、やっぱりこの事故は何だかおかしいです。


救出活動が始まるまでに時間がかかりすぎている。
日航機は横田基地に緊急着陸する体制がとられていたのに、断られなぜか群馬県に向かっている。
機長は、尾翼付近の爆発音があってすぐに、緊急事態の無線を流している。つまり、なんらかの異変を爆発前から認知していたということ。


調べ始めたら、やはり、政府が隠蔽したかったことが背後に隠れているのは間違いないと思います。


僕は思う。
政府にも隠したいことはたくさんあっていい。
公にできないこともたくさんあっていい。


しかし、そのために、人々の命をないがしろにすることだけは、あってはならない。


インターネットに真相に近いだろうことは、かなり載っていますので、度胸のある人は調べてみてください。

2010年11月1日月曜日

ランドセル

ランドセルは不思議だ。
今考えたら、全くもって機能性がないあんな大きな箱を、よく背負って学校に行っていたもんだと思う。
大人の決めた、小学生の象徴みたいなもんだろうか。


僕は長男だった。今も長男であるはずだ。
一番先に生まれてきたのだから、何でも新品が回ってくる可能性が高い。
これは非常にラッキーである反面、調子に乗る可能性も高くなっていく。


それに対して、7歳下の弟はいつも兄貴のお下がりだ。
悔しい思いもしたに違いない。


だが長男が世間において有利かといえば、そうでもないだろう。
下は上の失敗や、成功をしっかり見ている。
だから人生を渡り歩くのがうまい。
人間社会は良く出来ている。


そんな弟が小学校に入るときに、緑のランドセルを選んだ。
緑のランドセルで、毎日学校に通っていた。


僕は弟の姿を見て、頭を殴られたような衝撃を受けた。
ランドセルに対して、緑を持ってくる弟の発想に自由を感じた。


ランドセルと言えば黒だろうという既成概念にとらわれない弟のファッションセンス。
何も気にすることなく、国語の教科書を緑のランドセルに詰めている弟。
僕には絶対に出来なかった芸当だ。
時代はもうすでに弟のものであると悟った。



時代が進むほどに、概念はより自由になっていく。
これから生まれてくる子どもたちは、僕らよりもさらに自由な世界に生まれてくる。
それを何だか羨ましいと思っていたが、今は違う。


これからの人間に対して、何かを与えていこう。
次の世代に、もっともっと自由を作っていけたらいいなあと思うようになった。