2012年12月28日金曜日

外を受け入れる体制

BLOGOSの小林恭子さんの記事より。
今回、日本で感じたこと -一歩踏みだすと、まったく新しい世界が開けてくる


小林さんから見た、
英国と日本の、
サービスの受けやすさ比較の記事。
日本は英国に比べてサービスが外に開かれていないという内容。


ATMが24時間ではない。
海外のクレジットカードが使えない。
メディアがユーザーに対してのサービスを目指していない。
貧乏人でも利用できるメディアサービスの数が圧倒的に少ない、等。


僕は海外に住んだことがないから、
こうした指摘が正しいのかどうかわからない。
日本のサービスが当たり前だと思うから、
とりわけ不便を感じたこともない。


しかし、海外から見ると、
だいぶ遅れているのだろうと思う。


小林さんの結論は以下のとおり。
 選択肢が幅広く、(より)自由な社会、かつ貧乏でも同等のサービスが受けられる国になって欲しいと、遠い国から思っている。勇気を持って一歩を踏み出せば、貧富の差や居住地の違いに関わらず、すべての人が享受できるサービスが実行できるのではないか。


全ての人に同様のサービスを提供することがゴールであるかはわからないが、
全ての人にサービスの入口が開かれているほうが、
経済は回って行く気がする。


貧乏人がいつ金持ちになるかはわからないし、
貧乏人だって好きなことにはお金を使う時代である。


これから必要なのは、
外を取り込む勇気だろう。

2012年12月26日水曜日

一票の格差

日本経済をボロボロにする人々の記事より。
一票の格差


選挙はこの間終わってしまったが、
一票の格差については疑問を感じざるを得ない。
一票の格差(いっぴょうのかくさ)とは、選挙などで有権者が投じる票の有する価値の差、一票の重みの不平等を指す用語。主に国政選挙で用いられる。
(Wikipediaより引用)


一人の衆議院議員を選ぶのに、
ある地域では500人、ある地域では1000人の有権者がいる。
そうすると、有権者ひとりあたりの票の価値が変わってくる。


もういっそのこと、下記のように選挙制度を簡単にしてしまえばいいと思う。
「全部比例にしてしまうという考え方」

 一番いいのは実に簡単で、全部比例にして選挙区自体を無くしてしまえばいい。政党への得票数に比例して当選者数が決まる方式にすれば、完全に一票の格差はなくなることになる。そして小選挙区制特有である死票も当然減っていくことになる。もちろんこういう制度にすると、政党ではなく人に投票したい場合はどうなるのかという問題も発生するのは否定できないから、そこは全国を一つの選挙区として選挙人から50人、あるいは100人ほど選出すればいい。票が有力な個人に偏ることも想定されてしまうが、今の選挙制度よりははるかにましだろう。


一票の価値が違うのに、
民主制だと言っていることがおかしい。


はなからゲームのルールがおかしいのである。
民主的な意見など、
組み入れる気がない。


そういったシステムは今後破綻していくだろう。

2012年12月24日月曜日

日頃から

nanapiの記事より。
いざという時のための「問題解決力」の身につけ方!


日常には問題があふれています。
そして、解決できないまま、
問題は積み上がっていきます。


今回取り上げるNanapiの記事では、
問題解決力の身につけ方が非常にコンパクトにまとめてありました。


以下は問題解決の際のポイント。

①「基本は慌てず冷静に」

②「問題」には必ず「原因」がある
③「万が一に備えて常に先を読むクセをつける」
④「解決策は最低でも3つは用意しておく」


①、②、③は日ごろからできているつもりです。
今回非常にためになったのは④のポイント。
解決策が一つだと失敗した時のダメージが大きい。
二つだとジレンマに陥る。
3つ以上解決策を考えておき、選択して解決していくことが大切だということ。


日ごろから解決策をあらかじめ用意しておき、
行動のステップを計画しておく。
各ステップをクリアしたら次に進み、
失敗したらひとつ前のステップに戻る。


記事のポイントを取り入れ、
問題解決力を高めようと思います。

2012年12月21日金曜日

PREP法

文章を書くのは非常に難しい。
小さくまとまったそれぞれの文章をいかにしてまとめていくか。
文章の構成というものが非常に頭を使うところだ。
(このブログは文章の作成、構成にほとんど頭を使っていないが)


今回は文章の構成の組み立て方に参考になりそうな記事を見つけたので、
皆さんに紹介します。
nanapiの記事より。
必見 ! PC を使ってビジネスシーンで読みやすい文章を記載する方法


ブログ記事で提案されている、ビジネス文章を書く際のポイントは以下の3点。

1.難しい漢字はなるべく使わないようにする
2.読点は1文につき2つまでを心がける
3.「PREP法」を使った文章を心がける


1番、2番は日頃から意識してやってきた。
ビジネス文章は個人的な楽しみでやるものではない。
相手に短時間で、いかに理解してもらえるかがカギだ。


今回参考になったのは3番の「PREP法」という文章の書き方。
「PREP法」についての説明は以下のとおり。

「PREP法」を簡単に言うと、以下の順番で文章構成をするという事です。
  • 結論:Point
  • 理由:Reason
  • 具体例:Example
  • (もう一度結論:Point)


まず結論を先にいう。
そして、理由、具体例を並べて、
最後にもう一度結論で締める。


これはビジネスの場だけではなく、
創作の場でも使えそうな方法だ。
「PREP法」を意識してやっていけたら、
もっと文章がまとまっていくはずだ。

2012年12月19日水曜日

不老だけでいいのかもしれない

現代ビジネスの記事より。
世界中で話題になっている画期的研究 20年後、人類は「不老不死」になる

不老不死とは人類の永遠の憧れだ。
不老不死が可能になったとして、本当に人類が幸せになるかどうかはわからない。


現代ビジネスの記事では、「20年後、人類は不老不死になる」というタイトルで、
不老不死の可能性を探っている科学者について書いている。


その科学者は老化の原因を以下の7種類に分けて、一つひとつをクリアしていこうとする。
(1)再生不可能な、脳や心臓の細胞が死ぬこと。
(2)細胞が正常に分裂せず、がん化してしまうこと。
(3)死んだ細胞が毒素を出し、周囲に影響すること。
(4)細胞が生み出す老廃物が、除去されずに細胞の中にたまってゆくこと。
(5)細胞の中でエネルギーをつくるミトコンドリアのDNAが、傷ついたり突然変異して、正しく機能しなくなること。
(6)細胞と細胞をつなぐコラーゲンなどのたんぱく質が、加齢とともにしなやかさを失うこと。
(7)新陳代謝によって生まれる老廃物が、細胞の外側にも付着すること。


大概の問題はIPS細胞の使用により、解決できるということらしい。
おそらくそうなっていくだろう。


問題なのは、人類が不老不死になったとしたあとの世界のこと。


誰もが不老不死になったとしたら…。


思い出がなくなっていくだろう。
全ては記録され、忘れるということができなくなってくるだろう。
人間は忘れるからこそやっていける。
過去の事柄を省みながら、新しく進んでいけるからやっていける。


終わりのない生というのも、それはそれで苦しいものなのかもしれない。
不死の研究は危険をはらみすぎている。


不老だけでいいのかもしれない。





2012年12月3日月曜日

富と幸福

現代ビジネスの記事より。
アダム・スミスの「生きるヒント」 第23回 「あなたが"不幸"になってしまう理由」


アダム・スミスの教えをもとに、現代社会で不幸にならないようにしようとする記事。


賢人は、必要以上の富は必要ないことを知っていた。

自分が「最高の生活」として憧れるような環境になったとする。そこで感じる幸せがある。でもその幸せは、今自分が経験している「つつましい生活」で感じる幸せと、ほぼ変わらない。

なぜなら、人間は慣れる生き物だから。
当たり前になってしまうのです。
そして、限界のない、上を目指すようになる。
周りの人を蹴落として手に入れた富によっては、
不幸しか感じれなくなるとアダム・スミスは言います。


現代社会で必要以上の富というものが一体どのくらいになるのかはわかりません。
富を求めることが悪いことだという考え方に陥ってしまうと、
それはそれで危険な状態であると思います。


問題は最低限の富がありながら、
幸せを感じられなくなっている状態。


なぜ、最低限の富がありながら、
幸福を感じられない状況に陥ってしまうのか。

自分の生活を不幸に感じたりするのは、自分の状態と「理想の状態」の差を過大に評価するからだろう。貪欲な人は、「貧しい人」と「裕福な人」の差を過大に感じるようになり、野心的な人は、身分が低い人の生活と高い人の生活は全く別モノだと感じている。

要するに、ほかとの比較から生じているものだということがわかります。
まるで仏教のよう。


アダム・スミスの賢人論で、僕に一番欠けているのは以下の部分でした。
賢人は、たとえ自分に災難が降りかかっても、やがては「大したことではなくなる」ということを理解している。そして、その時を予め見越して、最初から「大したことない」と思うように努力する。

どんな災難や不幸が降りかかっても、やがては、ある程度の傷は癒えるのです。賢人は「今は大変でも、やがてはこの傷は癒える」と認識し、「傷が癒えたら、もはや大したことではなくなる。その時を見越して自分を落ち着かせよう」と努力するのです。


幸福とは、心の平静状態を感じられることなのかもしれないと、
ふと思いました。
富の量とは関係ないところで、心の平静をいかに確保していくか。
幸せというものを考え直す、いい機会になった記事でした。