2010年6月30日水曜日

絵でも映像でもない世界

Iphoneで友達に面白いものを見せてもらいました。

 

画面には、絵本のような子供向けの絵が映っている。

しばらくすると、絵が動きだします。その動きは必要最低限で、飛び出す絵本のような感覚です。

文章はなくて、人間の女性のナレーションが入っている。

お話を次へ進めるには、指でページをめくる。

何だかほっとした気持ちになれる、面白い体験をしました。

 

絵本でも映像でもない独特な世界。アナログとデジタルの中間のような世界。

なるほど、もう世の中にはこんなものまで出てくるようになったのか。

ちょっと前まで考えられなかった、思いもつかなかった、新たなジャンルの表現です。

 

その絵本のテーマはどうでもいいような内容だったんだけど、その新しい表現技法に何だかうれしさを感じてしまったのです。

読んであげる必要がないから、これからのお母さんはちょっと楽になるかも(笑)

2010年6月28日月曜日

無を感じる

音楽活動から離れてから4ヶ月経つ。

自宅でギターの練習や作曲は続けているが、そんなものは活動には入らない。

人に対してアピールして何ぼの世界。

 

 

最近生きていて、自分の中で完全なる無を感じることが多くなった。

加治雄希(かじたけき)という名前は単なる記号に過ぎない。

僕の存在は特にない。

他人との関係性において、認識されて始めて意味を持つ。

自己の存在なんて、あるもんだと脳が思い込んでいるだけかもしれない。

 

 

移動中の景色も、脳内で変換された映像にしか見えなくなってきた。

網膜が感じて脳に転送された、光にしか見えなくなってきた(笑)

自分が楽しげな時は景色が明るく見えるし、疲れている時はどんよりして見える。

そんなもんなのだとしか思えなくなってきた。

 

目の前の光景はただそこにあるだけ。

人や物体がただそこにあるだけ。

僕は狂ってしまったのだろうか。

 

 

ただあるものに人間が勝手に意味をつけて、進化していく。

働いていくのは自己保存。

子孫を残していくのも遺伝子にプログラムされていることで、何だか当たり前すぎてのめりこむことができない。

 

そうか。

世の中を面白くするのは自分しかいないのだ。

 

これからはさらに自分が本心から選んだことをただやる。

心をまっさらにして、何かに呼び起こされるようにやっていきたいと思う。

 

 

考える必要なんて特にない。

だってやってみなけりゃ、何が起こるかわからないのだから。

2010年6月25日金曜日

Ipadの意義とは

Ipad持っている人うらやましいです。

ちょっとIphoneにしてみようかなと思っているくらいのレベルです。

 

Ipadの登場は、パソコンの操作が難しいと思っているお年寄りや、直感的な操作によって子どもたちへの垣根をぶっ壊した気がします。

パソコンってこんなに簡単だったんだ、という部分がこれからのIT分野にとって相当大きな出来事です。

指で触れて操作できること、そして画面がそれなりに大きいことが素晴らしい。

 

IT分野はもう終わったみたいなことを言っている人がいますが、僕は全くそうは思いません。

これからはコンテンツ、アイデアの部分でまだIT分野には無限の可能性が残されている。

ボタン3回で何でも完了、寝ている間に勝手に運転。世界中の人が同じ土俵でつながって、あたらしいイベントを作り出していく。

そんなレベルまで行くために。生活利便性の向上と、徹底的な無駄の削除のために。

IT分野には未来が満ち溢れていると思います。

 

どの分野にも、自分の利益を守るために、とにかくネガティブな意見を言う人がいます。

政治家とか、既存の利益団体とか、押さえ込もうとする人々の存在。

日本はIT分野で世界に対抗していこうとする気持ちがあるのかどうか、疑問に思います。

むしろ、日本には今まで培ってきた技術力と、他にはない文化があるのだから、IT分野では有利だと思うのですが。

 

これからの未来を見ているのかどうか。見えているのかどうか。

意識を変えていかないと、国が変な感じになると思います。

仕方がないから、やっている。

法的には存在しているけど、気持ちは離れてしまっている同居離婚のような国にいるのは僕は嫌です。

2010年6月23日水曜日

脳と脳の関係性

「ソーシャルブレインズ入門」という本を読みました。

 

僕自身、人間の脳の働きにはとても興味があって、色々な本を読んで勉強しています。

今までの脳を扱った学問は、一人の人間における、自己へ作用する脳の働きを扱ったものが多かった。

この本で扱われている内容は、他者との関連においての脳の働きにスポットを当てているという点で目新しいものでした。

 

人間が生涯に使う脳みその割合は全体の数パーセントだなんて言われます。

使われなかった部分は一体何のために存在していたのか。

そして、たった数パーセントの部分を使っただけでも、ものすごい働きをします。

これはもう改めてすごいことではないでしょうか。

 

他人との関連に関しては、僕は脳みその働きによるテレパシーみたいなものが存在していると思っています。

表情やしぐさ、言葉や言い方から他人の思っていることを読み取るのは当たり前だとして、全く持って何も情報がないところからも人間は他人の思っていることや考えていることが何気なく分かる能力を持っている気がする。

だから生の人間と関わって、伝わってくるものをしっかり体感できれば、いろいろな情報に惑わされることはないような気もするのです。

 

脳機能についての研究は、まだまだ始まったばかりかもしれないけれど、これからも様々な発見を与えてくれそうな楽しみな分野であります。

2010年6月21日月曜日

コミュニケーションの崩壊

昼間近所を歩いていた時のこと。

缶コーヒーを買おうと、タバコ屋の前の自販機にお金を入れた。

そしたらタバコ屋のじいさんがじっとこちらを見ている。

 

 

「どうかしたのかい」

「いや、あのジュースを買いに来ただけです」

「ああ、そうかい」

 

 

おそらく現代ではそんな見ず知らず同士の会話が減っているに違いない。

初対面同士の信頼や、地域の一体感のようなものもなくなりつつある。

不機嫌そうに歩く人々の顔を見ながら、しかしと考えた。

何だか、これが言葉が発生する以前の動物の社会であったような気がしてきた。

言葉もなく、それぞれが、それぞれの欲求にしたがって歩いている様子。

 

 

昔はコミュニケーションを失った社会を少しだけ嘆いていたが、今はこれでいいのではないかという気がする。

それだけ自由度が高まったのではないか。

日本における個人としての自立化が進んできたのではないか。

 

 

しかし人間というものは、コミュニケーションなしにはやっていけない動物である。

 

 

おそらく既存のコミュニティの解体が進んだ後、意志を持った個人同士がまたあたらしいコミュニティをつくりだしていくのではないかという気がする。

2010年6月18日金曜日

国を選ぶ時代

企業が国を選ぶ時代だ。

税金の安さ、労働力の安さを求めて、ヘッドクオーター、オフィス、生産拠点をどこにするかを決める。

 

 

そして、住民がこれからは住む国を選ぶ時代になってくるだろう。

留学とか仕事の関係で移動するのではなく、いかに良く住む、そしていかに良く生きるかの観点から、住む場所を自由に選ぶ時代が来る。

 

 

5年アメリカに住んで、6年スコットランドに住んで、最後は生まれた九州で死ぬといった人生の中での居住空間を自由に選べる時代が来ると思う。

 

 

いつの話になるか分からないが、国や地方自治体は、居住者に対してどのようなメリット、特色があるのかを売り込んでいかなければ人は定着しない時代が来るだろう。

 

 

地方に関していえば、東国原氏のようなリーダー、国に関していえば、もっと世界に自国のよさをアピールできるようなリーダーが今後必要となってくるのではないかと思っている。

2010年6月16日水曜日

大切なもの

最近また一つ感じたことがあります。

 

 

人間社会を生き抜く上で大切なものは何か再確認した。

意外と単純だったのです。

 

 

それは誠意と情熱。

 

 

ほんのちょっと前まで、考えに考えすぎていて。

フィボナッチ関数や金融工学やワラント債や消費性向が分からないと生きていけないんじゃないかと思っていた。

 

 

そんなんどうでもいいわ(笑)

 

 

おそらく経済を何とかしようと頑張っている人たちは、考えすぎなのではないでしょうか。

ただ単純に、誠意と情熱を失ってやってきたことのツケが回ってきているだけのような気がします。

 

 

庶民は黙って見ているしかないから本当に辛いわ。

年金に代わる金融商品の登場を期待しています。

2010年6月14日月曜日

社会貢献

近年若者の社会貢献への意識が高まっているという。

おそらく、依然このブログで書いた無縁社会への反動であろう。

環境がないなら、自分で作ってやろうという意識の高い若者が必然的にたくさん出てきたということか。

 

 

特に面白いのは、社会貢献に関心を持つ高校生が非常に多くなってきたということ。

インターネットの普及に伴って、おそらく知識のレベルでは高校生と団塊の世代の格差も縮まってきたのだと思う。

 

 

「ソーシャルアントレプレナー」という言葉がある。

社会貢献を目標として起業する者。社会企業家と訳される。

海外ではおそらくこういった人材を作ろうとして大学が変革しているのではないだろうか。

日本はいまだ会社向けの人材を作ろうとしている。スピードが遅い。

 

 

僕が大学時代にも、社会企業家のはしりみたいな活動をしている人がたくさんいた。

僕は人見知りが激しくて、友達が大学に来るまでトイレに引きこもっていたりしたから、アクティブに活動している周りの知り合いがうらやましくて仕方なかった。

 

 

これからの社会は、おそらく、みんな社会企業家になっていくのではないかと思う。

一人一人が社会への貢献を考えながら、経営学のノウハウをその活動に生かして、継続可能な活動にしていくこと。

 

 

おそらく芸術の分野でも、いったん構造がぶっ壊れて、社会企業家みたいなアーティストがたくさん出てくるのではないかと思う。

 

 

日本でその流れが来るのは、当分先の話になるかもしれない。

そうなったら、面白い世の中になる。

2010年6月11日金曜日

物事を移動させるという考え方

生物は自分や外部のエネルギーを移動させることによって自己を保存しているのではないかと思います。

栄養を取り入れることによって体内に移動させて、いらないものを排出する。それも移動。

お金を稼ぐために自己を移動させる。

自分のアイデアを紙に書いて、そして言葉にして移動させることによって他者に伝える。

 

 

そして、移動に関しては、自分でコントロールできる部分が多いほうが満足度が高い。

 

 

現代では移動のスピードが劇的に上がっています。

空間の移動スピードも上がっています。羽田ー九州間が1時間半なんて、改めてすごい。

そしてインターネットの発達によって、自分の存在の移動スピードの限界がなくなりました。

 

 

洗濯物をたたんで整理するのは骨が折れます。

しかし、洗濯物を小さくして移動させると考えると、自分の存在の保存のためにコントロールできる行為として満足度が高まるかもしれません。

全て自分でコントロールしているのだという考え方に変えていくと、生活が楽しくなっていくのかもしれません。

2010年6月9日水曜日

労働者としての自覚

最近ようやく労働者としての自覚が出てきました。遅いわ(笑)

誰かとの関係で必要とされてサービス、役割を提供して、賃金をもらって生活していく。

大好きな女優さんも、内閣総理大臣も大きく考えれば、ほとんどの人が労働者です。

何だ、みんな大変なんじゃないかといまさら気づいた。

 

 

それまでは本気で自分がロックスターだと思い込んでいた(笑)

今後は、現実世界での労働者としての自覚を持った上で、ロックスター、アーティストを目指して生きたいと思います。

 

 

鳩山首相が退陣しました。

彼の理想やビジョンは非常に良く理解できた。一国の首相として、大きな理想を掲げた総理大臣もめずらしく、期待も大きかった。

 

彼はおそらく頭が良過ぎるのでしょう。

頭の中で描いていることが、他人も分かると思っている。

他人に説明する時には、次元を下げて、具体的にわかりやすくする必要があります。

 

そして大切なことは、理想を掲げながらも、具体的に実現可能なことからコツコツとやっていくしかないということ。

 

彼には労働者としての自覚が足りなかったのではないでしょうか(笑)

 

 

ここからまた気持ちを切り替えて、理想をかなえるために頑張ってほしいと思います。

2010年6月7日月曜日

年を取る

年を取ると一日、そして一年が短くなると言う。

僕は果たして本当にそうだろうかと思う。

 

 

一日の時間は大昔からそんなに変わっていないはずだ。

鎌倉時代に一日が27時間だったという話も聞かない。

 

 

 

年を取れば動きが遅くなる。身体能力も衰える。それにともなって時間間隔が変わるのかもしれないが、その代わり経験が蓄積される。無駄なことやどうでもいいことは限りなく排除できるスキルを持っている。

 

 

そんなこんなで、僕は年齢というものはパフォーマンスにそこまで影響は出ないと思う。ローリングストーンズを見ていれば分かる。

 

 

そのためには一日を全く新しいものとして捉えることが重要だ。過去の記憶にとらわれない、全く新しい日を生きる。

 

 

毎日を大きな目的に向かってい生きる。毎日死に向かっている。その状態を一年、一日、一瞬で切り取ってみれば、全く同じ形をしているという、マンダラの考え方でいってみれば、日々は活力にあふれてくる。

 

 

僕は一つの宗教に肩入れするのが嫌いなので、そんな死生観で臨んでいます。その状態にいれば、いつ死んだって形は同じなのではないかなあ。

2010年6月4日金曜日

二つで一つ

僕は今まで二つの経済体制が国内で同時に両立できないかと考えていた。

上を目指して挑戦するための経済と、何かあったときのために備えておくセーフティのための経済。

一緒に考えるからおかしくなるのではないか。

 

 

個人の経済ならそういった体制を取ることは可能だ。

使っていくお金と、貯めておくお金。

自己投資と、貯金。

 

 

国家の権限がこの先どんどん地方に委譲されていく中で、地方独自の経済体制ができてきてもいいような気がする。

ここに住んだら住宅が安いとか、商売がやりやすいとか。

全国的な縛りをできる限りなくしていくことで、世の中はもっと活性化されていくのではないのだろうか。

 

 

財源はどうするのかというが、50年先を見通して活動をしてこなかった政治屋に責任もあるのではないか。そこらへんの汚い流れを一掃して、先を考える人を有権者が選んでいきたい。

 

 

そして、税金の他に、儲かっている人が国へ寄付する形を取る。そしてそんな人が海外で活動できるように国が積極的に支援していく。経済に関しては、国はもっと商売人感覚を学んでいくべきだ。

 

 

そして、国民が、儲かっている人を純粋に応援する気持ちを持たないとこの先変われない。

 

 

そして常に二つの経済体制の存在の可能性を考えてみると面白いのではないか。

 

 

良く分からない文章ですが、自分も考えがまとまっていないので、みなさんと考えていけたら最高です。

2010年6月2日水曜日

本の衰退

IPADが日本で発売された。

電子書籍の発達に伴い、書籍が衰退していく可能性があるとの心配を周りから良く聞く。しかし、心配ばかりしていても仕方がない。


もしこの先本が売れなくなっていくとしたら、そういうもんなんだと思う。人々の活字離れが進んでいくのだとしたら、それは問題ではあるが、仕方のないことなのだと思う。世間の流れには、どうしようもなく逆らえないことがある。

 

 

この先コンテンツは電子化で受け取るとしても、その内容を読む行為に関しては、もっとアナログな感覚が欲しい。

PC内の活字を、もっと身近な物理空間まで持ってこれるようになったら面白い。
プロジェクターのように、PCの文字を紙に写せるようなシステム だったり、文字のスクロールが勝手にできるようになったり。物理空間に文字が浮き上がってきたら、毎日がとても楽しくなる。

 

 

IPADを固定して、寝っころがりながら文章を読めるシステムなどはうらやましい限りだ。そういう所を人は求めているのではないか。

 

 

教科書なんかも電子化されたら、授業がもっと面白くなりそうな気がする。

 

「書き取りテストが終わったら、次の映像を見てください」

 

 
出版に関しても可能性が広がる。写真集や自作の文章を自分ひとりで出版できるようになる。多様性と選択肢が広がっていくのはとても楽しみだ。売れるか売れないかは消費者が決める。ダメなものは残らなくなる。

 

 

書籍がどんどん電子化していくのであれば、長いこと考えて文章を書くという行為がばかばかしくなっていくかもしれない。

 

しかし、そういったジャンルはしっかりと保護して、今までの文章レベルが下がらないように人類は気をつけていかなければならない。