昼間近所を歩いていた時のこと。
缶コーヒーを買おうと、タバコ屋の前の自販機にお金を入れた。
そしたらタバコ屋のじいさんがじっとこちらを見ている。
「どうかしたのかい」
「いや、あのジュースを買いに来ただけです」
「ああ、そうかい」
おそらく現代ではそんな見ず知らず同士の会話が減っているに違いない。
初対面同士の信頼や、地域の一体感のようなものもなくなりつつある。
不機嫌そうに歩く人々の顔を見ながら、しかしと考えた。
何だか、これが言葉が発生する以前の動物の社会であったような気がしてきた。
言葉もなく、それぞれが、それぞれの欲求にしたがって歩いている様子。
昔はコミュニケーションを失った社会を少しだけ嘆いていたが、今はこれでいいのではないかという気がする。
それだけ自由度が高まったのではないか。
日本における個人としての自立化が進んできたのではないか。
しかし人間というものは、コミュニケーションなしにはやっていけない動物である。
おそらく既存のコミュニティの解体が進んだ後、意志を持った個人同士がまたあたらしいコミュニティをつくりだしていくのではないかという気がする。