2011年7月29日金曜日

ガラパゴスが勝った

サポティスタの記事より。
日本の良さを徹底したらガラパゴス化することなく国際標準に


先日のなでしこJAPANの勝利に関しての記事。


オシムが実践しようとした、「日本サッカーを日本化する」という理念。
それを先にやり遂げてしまったなでしこJAPAN。


日本は「小さい」という特性を、マイナスではなくプラスに転化したのです。日本女子サッカーにしかない、日本「らしさ」とは何か。小さい。だから小回りが効く。攻守を素早くスイッチ。全員が走り続ける持久力。協調性が高くネットワーク化が得意。そして、“絶対に負けない”、あきらめない精神。
そうした特徴を明確に自覚化して、戦術化したのです。


不利な状況をプラスにもっていく考え方の転換。
他には勝てないから、自分たちのいいところで勝負しようとする心構え。
これを個人ベースでやっているのが長友。


自分たちを信じてやっていくことはできる。
だが、それが結果になるのはまた別の話。
ガラバゴス思想が世界標準になってしまったという画期的な出来事。
日本の技術界とは全く別の事例が発生した。


やっぱり、体格が大きいほうがいいに決まっている。
個人技が優れているほうがいいに決まっている。


しかし、今回のなでしこJAPANの出来事は、それが十分条件であり、必要条件ではないということを教えてくれた。
つまり、「そんなもんなくても勝てる」ということを教えてくれたのである。


これからの未来を考えるときに、非常に画期的なお手本になった。

2011年7月27日水曜日

上司、親、教師

最近思うことがある。
何だか、儒教の影響か知らないが、上司、親、教師が無条件でえらいみたいな空気が嫌になってきた。


上司は単なる役職だ。
親は自分を生んだだけだ。
教師は単なる職業だ。


その人物が尊敬できるかどうかは、部下が決める。
親が尊敬できるかは、子どもが決める。
教師が尊敬できるかは生徒が決める。


役割と、尊敬という感情を切り離して考えよう。


上司、親、教師はある程度の権力を持っている。
しかし、それがイコール偉いということに直結するわけではないことに最近ようやく気づいた。


もっとニュートラルに人を判断していこうと思う。
人が持つ機能と人格を分けて考えていこうと思う。


媚びは売りながら。

2011年7月25日月曜日

5秒で次へ

シゴタノ!の記事より。
5秒待って反応がなかったら次に行く


この記事の中では、パソコンがフリーズしてしまった時に、「5秒たっても回復しなかったら頭を切り替えて次の行動に移れ」ということが書いてあります。


そのまま「応答なし」になって強制終了を余儀なくされることもありますが、たいていの場合はしばらく待つと何事もなかったかのように動き出します。
ここで焦ってやたらとクリックを繰り返したり、キーボードを連打したりすると、復帰時にこれらの操作が反映されて、“二次災害”を引き起こしかねません。余計なウィンドウが次々と開き始めたり、無意味な文字列が画面を占拠して収拾がつかなくなるのです。


予想外の出来事が起こったとき、人はパニックになって余計なことをしてしまいがちです。
そんな時、5秒待っても変化がなかったら頭を切り替えるというのは非常に効果的なルールであると思います。
焦っても仕方がない。しかし、エネルギーが余っているというときは、サクッと頭を切り替えて、次の作業に移る。


そのためには、タスクを細かく分解して、スムーズに作業に取り架かるために前もって準備をしておく。
その準備も大切なタスクの一つであるということ。


慣れてくれば、タスク間の切り替えがスムーズに、そして、同時進行が上手にできるようになってくるのでしょう。
とにかくただ待つという状態をいかに減らしていくかが肝です。


待つという状態は非常に疲れます。
現代の時間感覚で、5秒というのは、そこまで速い時間ではなくなってきました。
僕もこの5秒を基準に頭を切り替えてみようと思います。

2011年7月22日金曜日

謎が解けた

BLOGOSの記事より。
民主党議員は何を考えているのか


僕は現在の首相の一貫性の無さを見て、リーダーとしての適格性を懸念していた。


そしたら、この記事に出会った。

以下は記事からの引用。
民主党員と記事の著者のやりとり。

民「自分のことは自分が一番よくわかるのですよ。多くの議員は選挙で当選するとか落選するとか考えちゃいないよ」

私「じゃあ、何を考えているんですか。明らかに総選挙は厳しそうですから、避けたいのではないですか」

民「その一歩先を行っているんだよ。彼らは、どうせ、落ちると思っているんだよ。つまり、無職になることを前提に人生プランを立てているんだよ」

私「えっ!つまり、どうせ落選するんだから、出来るだけ長く議員をやっていた方が良いということですか?」

民「その通り。議員の給料は1831万円。これは、税金がかかる。が、文書交通費が1200万円と立法調査費が1000万円。これは税金がかからない。ということは、あと、2年議員をやれば、4000万円とか蓄財ができるんだよ。」

私「それって、ありですか。我々が4000万円も貯めようと思ったら、いったい、いくら稼げば良いのですかね…」

民「ということで、多くの民主党員は蓄財に走っている。議員の秘書が言うから、当たらずとも遠からずだよ。」

私「終わっていますね」

民「国会議員なんて、国民が選ぶわけで、今の国民の代表なんだから、国民も、似たような考えのやつが多いということだよ。」


民主党議員たちは、次の選挙を恐れているのではない。
もう落ちることを計算して、蓄財に走っているというのである。
何たることだろうか。


選挙での当落を計算して、自らの政治理念を曲げているなら多少なりともわからなくもない。
しかし、もう無職になるのを前提で、蓄財のためだけに政治活動を続けている議員がいるのだとしたら、それはもう話にならない。


なんだか、この記事を読んですべて納得がいった。
結局、政治理念や、自らの信念で活動を行っている政治家なんてほとんどいないのだろうということ。
単なる蓄財のための活動であるということ。


だから、他の人からなにか言われて、意見がコロコロ変わる。
すべての行為がメディアに対するパフォーマンスだけのものになっていく。


政治家はサラリーマン的発想ではできない仕事だと思うのだが。
一億、総蓄財に走る時代になったということか。

2011年7月20日水曜日

楽器のすすめ

GIGAZINEの記事より。
楽器を演奏していると老化が遅くなることが明らかに


楽器を演奏することで、若さが保たれるという話はよく聞く。
実際に僕も楽器を演奏しているが、若さが保たれている実感がある。


指先を動かすという動作が脳に効いている感じもする.
聴覚を極限まで使うという行為が、感覚が鈍感になっていくことを防いでいくれているのだろうと思う。


記事にはこう書かれている。


「音色というのは楽器を演奏する人にとってみれば、いわば画家が扱う絵の具のようなもの。曲を演奏するために正しい音を扱うことで、聴覚や記憶が鋭くなるのだと仮定できます。音楽をたしなむことで、加齢によって起こる、コミュニケーションに必要な能力の低下を食い止めることができるのです」


コミュニケーションの低下が老化と直結していることは間違いない。
肉体が衰え、人との交流が少なくなってくると、人間は一気に老けていく。
いつまでも若々しい人は、何かしらのコミュニケーションの場を自分のなかに持っている。


音楽とは実に不思議な世界だ。


楽器との対話を重ねて、自分の音、人に心地良い音の探究をしていく。
ともに演奏して一つの世界を作り上げるという、他人とのコミュニケーションの場もある。
そして何より、自分の肉体を使って表現するという行為は、自分との真正面からの対話でもある。


様々な局面でのコミュニケーションの世界が、楽器から広がっていく。


僕も一度ギターを捨てて、笛なんかを吹きながら、街を歩いてみたいと思う。

2011年7月18日月曜日

通勤ほどバカバカしいことはない

JB PRESSの記事より。
フェイスブック、グーグルに先制攻撃かースカイプと提携し、SNS内でテレビ電話を利用可能に


フェイスブックとスカイプが提携した。
フェイスブック上でボタンひとつで、スカイプが使えるようになるようだ。


この提携によってビジネスが大幅に変わる。
アイデアのある人々が集まって、スカイプでやりとりをして、一日の間にプロジェクト開始が決まる。
そこに参加したい企業、個人が集まってくる。
お金は寄付や、企業の協賛でフェイスブック上に集まってくる。
実態はない、フェイスブック上のプロジェクトだ。


まあ実際はそう簡単にはいかないかもしれないが、フェイスブックというネット上の場所で、準備が着々と進んでいることは確かだ。


オフィスに毎日通勤している自分がバカバカしくなってくる。
パソコン1台あれば、働く所はどこでもいいという流れが加速してきている。
どれだけの時間の無駄なのだろう。


やっぱり人間同士、直に会って話をしないと伝わらないという人がいる。
それは本当にそうだ。生に会って、深まっていくものが多いのは確かである。
しかし、これからの時代、そんな時間を取っていられなくなってくる。
コストの面からも、無料のスカイプとチャットとメールを駆使して、限界まで準備しておくことが必要になってくる。


そして、準備段階の最後に一度だけ会えばいい。
「すべてあれでお願いします。じゃあ、飲み行きますか」


以下は記事より引用。
こうして見ると、フェイスブック、スカイプ、マイクロソフトの3社連合とグーグルとの対立構図が浮かび上がってくる。これからSNSを本格展開しようというグーグルにとっては、出ばなをくじかれた格好だ。


グーグルはSNSからは手を引いたほうがいいだろう。
フェイスブック、スカイプ、マイクロソフトの連合には勝てない。


それよりも、グーグルは独自の検索技術と、ネット上の情報蓄積量を生かした、クラウド技術に力を注いでいったほうがいいのではないかという気がする。
無駄な潰し合いはなるべくやってほしくない。


そして、両陣営がさらに技術を磨いていって、さらなる飽和点を迎えたときに、インターネット上に新たなアスペクトが見えてくるだろう。

2011年7月13日水曜日

男という生き物

「小さな政府」を語ろうの記事より。
男性の給与が伸びない


記事にはアメリカのグラフが載っている。
GDPの増加に伴って、女性の給料は上がっているのに、男性の給料は頭打ちというグラフ。


女性の社会進出が進んできたことによって、いらない男性が増えたということだろう。
それまで無能な男性が、社会概念のせいで多くいたということだろう。


機械化の進展に伴って、男の力が必要な仕事もなくなってきた。
そうなったら男性の給料は下がるしかない。


僕は、肉体的な違いが全く問題にならなくなった労働環境においての男女比は3対7くらいになると思う。
女性のほうが必要とされてくる環境が増えてくる。
女性のほうが能力が高い。社会性が高い。
男はこれからガラクタになっていくしかない。


これからの男性はきつい。
若い人に活気がないとか、夢が目標がないとか言われるが、彼らは単純に先を見通しているだけなのかもしれない。


単純な話、女性は結婚すれば救われる可能性が大きい。
そして、極論を言ってしまえば、カラダを売ってしまえばいい。
男は結婚したら損だし、男のカラダを必要としている需要が少ない。


これからの男に必要とされるものは何か。
男の本能が必要とされることは何か。


「男は死んでもいいと思って、何かをできること」
これに修練されていくような気がしてならない。


戦争しかないのだろうか。

2011年7月11日月曜日

角栄の言い回し

レジデント初期研修用資料の記事より。
乱暴な言葉の使いかた


記事ではリーダーの言葉の使い方がどう人に影響するかが、田中角栄の例にして説明されている。


大声を出す人、最初に行動する人がリーダーになるという話は知っていた。
それは動物的な考え方で、ちょっと人間のリーダー論にはもう一押し足りないなあと思っていた。


大声が単なる怒りから来るものなのか、具体的な指示と方向性に基づいた大声なのかで状況は変わってくる。


ほとんどの場合、周りの大人の大声は単なる怒りの発露の場合が多く、人はついていかない。
僕の周りにもそういったリーダーが多かったので、嫌気がさしていた。
リーダーと言う名ばかりの人間がいかに世の中に多いことか。


最初に行動すれば、その人が即リーダーかというと、そういうわけでもない。
ただ単に何も考えていなくて、とにかく動けを信条としている人も多いからだ。
行動の早い人について行った結果、全てが台無しになってしまう可能性もある。


角栄の言葉というのは乱暴で、親方的で、上から目線で暑苦しくて、それでもなお、こういう人がリーダーならば、たしかに誰もがついて行くだろうな、という説得力がある。「これをやれ」という指示が明確で、実際にその人が「できる」ことしか言わないから、それを聞いたら、誰もが即座に行動できる。


まとめてみると、リーダーの条件は3つになる。

●大声である
●最初に行動する
●周りの人間ができることを、シンプルに、具体的に指示する


この3つを同時に、瞬時にできる人がリーダーになりやすいのだろう。
何だか簡単そうだ。
これからはみんながリーダーの時代が来るだろうから、自分はリーダーの器ではないなんて思わずに、実行してみてください。

2011年7月8日金曜日

怖いのではなく、悲しいのだ

起ー動線の記事より。
376. 「死ぬのは怖くないが悲しい」


この記事で扱われているのは、今にも不時着しそうな飛行機に乗っていた男性が感じた気持ちについて。


死を覚悟したときに彼が感じたのは、恐怖の先にあるもの。
人生を失ってしまうことに対する悲しみだったというお話。


以下、記事からの引用。


氏のスピーチが教えてくれるのは、人間は死の直前にあっても恐怖という根源的な感情を乗り越えてしまう(場合がある)こと、そしてその先に待っている感情は、人生を手放すことへの悲しみだということです。


確かに最初は恐怖を感じそうです。
飛行機が墜落してしまったら、どうなるのか。
もしかしたら、飛行機がバラバラになって、死んでしまうかもしれない。


そして、一通りの恐怖を乗り越えたときに襲ってくる、後悔のようなもの。
人生というものを二度と味わえなくなってしまうことに対する寂しさ。
わかるような気がします。


この記事で扱われている男性は、子供たちの成長が見れなくなってしまう事を寂しく感じたようです。
そして、記事を書いた人は、自分の仕事と生活に対する考え方を見直したようです。


僕は、この記事を通して、今の人生の味わいをさらに深めようと思いました。


人間はいつかは死ぬ。
最後に感じるものが恐怖ではなく、人生を手放すことへの寂しさだとしたら。
前倒しして、今をもっと楽しんでいかなくちゃ。


ちょっとこの記事は、自分の死生感を変える、素敵な記事でした。

2011年7月6日水曜日

次世代PCの可能性

MSN産経ニュースの記事より。
グーグルPC、6月発売 欧米7カ国、クラウド活用


グーグルPCが6月15日に欧米で発売されたようである。
グーグル独自のクロムOSと、クラウド技術を使った低価格PC。
起動にかかる時間が8秒らしい。
クロムOSがどれくらいの処理能力があるのか、そして、クラウドがどこまで進んでいるのかが見物である。


おそらく個人用ではこれで十分なのではないかと思う。
次PCを買うときがあったら、これにしようと思う。


家で使う分には、メールとインターネットと、YOUTUBEくらいで、十分だ。
僕は音楽制作ソフトを動かしたいので5年前くらいにものすごく高いPCを買ったのだが、今となっては音楽制作用のPCと、日常使いのPCは分けるべきだったと後悔している。


クラウドの考え方に大幅に賛成だ。
メールも、文章作成も、写真加工も、動画閲覧も、全部インターネット上でやってしまえばいい。
データを自分のパソコンに保存しておくのではなく、どっかのサーバー上の保存しておく。
ネット上で作業をやってしまう。
自分のデータを使うときに取り出してくればいい。


必要なときに、場所を問わずどこにいても作業ができる。
それが、クラウドの醍醐味である。


クラウドの進化によって、データへのアクセスの場所と時間に制限がどんどんなくなってくる。


海外旅行に行くとき。
朝起きて空港に着くまでに、旅券と宿泊先と、パスポートとレンタカーの予約と、タキシードの準備がワンクリックでできるように、ならなきゃいけない。

2011年7月4日月曜日

ハーレーに乗った数学者

BLOGOSの記事より。
数学は教えてもらえません。


この記事には数学が教わるような学問ではなく、自分でつかみ取っていく学問であることが記されている。
WS大数学科の教授から、数学科の教員に送られたメールの一部が、サッパリと数学の根本を捉えている。


In my humble opinion, the “boring lecture” format is the worst possible way to teach and to learn mathematics.
(訳)これは単なる私の意見だが「退屈な講義」形式は数学を教えたり習ったりする上で最悪の方法だ。


そして、筆者はこう付け加える。


数学者ですら、いや、数学者ほど、数学の講義を聞くことに大した意味があると思っていないのだ。


僕は中学校あたりまでは、数学が得意な方だった。
もう、全部丸暗記していたからだ。


しかし、高校2年生あたりから、数学が正体不明な分野になっていった。
先生が何を言っているのかわからなくなってくる。
「Σ」とか「β」とか、九州の片田舎で生活している人間にとって、本当に必要なのか分からない記号が頻繁に舞台に出てくる。
そして、バカバカしくなってくる。


僕の育った高校には、木村先生(当時70歳近かった)という数学の先生がいた。
文系クラスの僕にとって、彼の講義は宇宙人の話すお経のようなものだった。
質問さえ浮かばない敗北感。
彼の担当する幾何の時間には、クラスの大半が前倒しで弁当を食べていた。
そして木村先生は、70近いのにハーレーに乗っていた。


先生が悪いわけではない。
記事でも出ているように、そもそも教わるものではないのかもしれないものを教えることに無理がある。
数学という自分の頭で考える学問を理解し、さらに人に教えることは指南の技なのだ。



社会に出てみて、教わっただけでは理解できないものがたくさんあることに気づいた。
もう教わった、教わらないの次元ではついていけない。
自分の力でつかみとって、モノにしていくしかない。
自分の頭で解決していくしかない。


数学という学問が苦手だったのは、自分の頭で考えるということが苦手だったということだろう。
これからは数学的な考え方を生活に導入して、自らの力で問題を解決していくことが必要だと思った。

2011年7月1日金曜日

スポーツにおける格差社会

中日スポーツの記事より。
東大卒弁護士ボクサー 初戦白星


東大に入るのも難しい。
弁護士になるのもさらに難しい。
そして、ボクシングで勝つのは確率的に言ったらもっと難しいのではないだろうか。
そんな偉業を達成した人物がいるみたいだ。


上を見るとキリがない。
だが、こういった人の活躍の話題を見ると、何だかもう単純に嬉しくなってくる。
自分の日常とあまりにかけ離れ過ぎているので想像ができないから、脳内から変な物質が出てくるのだろう。


東大に入るのと、弁護士になるのと、ボクサーになって1勝するのと。
「どれが一番難しかったですか」と本人に聞いてみたい。
おそらく「ボクサーでの1勝」と本人は答えるのではないだろうかと思う。
なぜなら、3つの中で1番不確定要素が多いし、最悪死ぬかもしれないから。
得体の知れない恐怖との戦い、死との戦いが一番過酷であろう。


彼は現在29歳。
同じ年齢の男として、彼が非常にかっこよく見える。
それと同時に、同じ人間としてこんなにも違いが出てくるのかと、笑いたくなってくる。


頭でも、体でも勝てないとしたら、一体どこで勝負すればいいのだろう。