2010年12月29日水曜日

罰金と賞金

スラッシュ・ジャパンの記事で面白いものを見つけました。

速度遵守に賞金をつけて違反者減少


速度違反者には罰金。
速度を守っている人には抽選で賞金をプレゼント。


遠隔地からのカメラの撮影と、カメラの精度の向上で可能になったシステムでしょう。


こうやって、統制がとりづらいものはゲームにしてしまうという発想も現代的です。


僕はついついやってしまうゲームやテレビをマイナスポイント、英語のトレーニングや文章を書くこと、ギターのトレーニングなどをプラスポイントにして、ゲーム感覚で日々のタスクを管理しています。


人間は本来自由な存在ですから、そうやってコントロールに遊びの要素を入れてみるというのもおもしろいものです。


やっぱり強制では面白くないのです。
ITの力を活用して、人生をカスタマイズしていくのも、ひとつのやり方でしょう。

2010年12月27日月曜日

ホンダ 「フィットEV」

WIREDVISIONの記事より。


ホンダ、『フィットEV』を発表


フィットという車は素晴らしい。
燃費はいいし、外見の割に中身の広さがある。
走りもそこまで悪くない。


ここに来て、さらに進化したみたいだ。
走りのモードも3段階で選べるみたいで、さらにエネルギー効率がよくなっているのだろう。


ガソリンという燃料が古くなっていることは確かだ。
全て電気エネルギーに統一できたらわかりやすくなる。


原子力発電には危険が伴うが、それは仕方のないことだ。
いずれ宇宙空間で電気を作れるようになるだろう。
廃棄物も宇宙空間に捨てればよい。
そして、100年ぐらいしたら、ゴミをめぐって宇宙人と争うことになるだろう。


まずは電気自動車が街にあふれる世界を待とう。
それができればかなりの部分を電気で動かす流れが動き出すはずだ。

2010年12月24日金曜日

日本映画が見たい

YOUTUBEに上がっていた、ドキュメンタリー「NONFIX 日本映画が見たい」を観た。


毎年たくさんの映画が日本で公開されている。
映画館で見てもいいし、DVDにもすぐなる。
映像も日に日によくなっているし、映画ファンにとっては昔に比べてとても利用しやすくなったはずだ。


そんな中で、日本にいながら、日本人として暮らしていながら、日本映画をどうしても見られない人がいる。
聴覚障害者である。


日本の映画には字幕がない。
日本人なら、言葉がわかって当たり前だという前提だ。
健常者にとってみれば、日本映画の字幕は邪魔に感じてしまうだろう。
しかし、耳が聞こえない人にとっては、全く何を言っているのかわからない。


このドキュメンタリーには、日本映画への字幕の挿入の要望が都議会で取り上げられ、都議会から経済産業省へ上伸される課程が記録されている。
外交や、経済問題だけではない、政治の役割を改めて認識されられた。


全てのDVDに日本語字幕を入れることは難しいかもしれない。
だが、インターネットで字幕制作の協力者を募り、その協力者の作った字幕テキストデータを、うまくDVDの作品と融合させていくことは可能ではないだろうか。
聴覚障害者と日本映画の現状がもっと世間に認知されれば、解決策はネット上で行われていくと思う。


普段何気なく生きているだけでは、こういった現状は認識できない。
知らないからである。


今は放映されているのかわからないが、「NONFIX」というドキュメンタリーは素晴らしい。
知らない世界を教えてくれる。
世間に生きる我々が、考えなければならないことを提示してくれる。


2010年12月22日水曜日

本田選手、リバプール移籍か

スポニチアネックスの記事より。
すでに交渉中…?本田は1月リバプールか


モスクワで頑張っているサッカーの本田選手がリバプールに移籍するかもしれないという噂。


僕はイングランド、リバプールのファンです。
彼が本当に移籍することになれば、本当に嬉しい。


モスクワの本田選手も、ドイツ、ドルトムントの香川選手も戦っている。
何だか今までに移籍した日本人選手とは決定的に違うメンタリティを持っている気がします。
もともと海外で戦うために生まれてきたような選手。
日本のサッカー界が成長した結果かもしれません。


現時点での日本のサッカー界に足りないものは、やはりお客さんの質だと思います。
僕がリバプールを愛しているのは、地域に根ざしているし、サポーターがものすごく激しいからなんです。
グラサンをかけたおばあちゃんが、赤いタオルを巻いてスタジアムに足を運ぶ。
地元のパブで一杯やった男たちが、大声をあげて応援歌を歌う。
時には敵チームと暴れだす。
そんなノリが日本にはかけています。


暴動をすすめているのではありません。
やはり本気で応援していれば、フーリガンみたいになるし、色々な人が会場に来る。
それだけ生活に密着している発散空間を作ることが大切なのです。


これからの日本サッカーの発展を楽しみにしています。

2010年12月20日月曜日

第六感

BLOGOSに面白い記事が載っていた。
直感は年齢とともに磨かれる


年齢とともに計算力、記憶力は落ちていくが、総合的な判断力や直感力はあがっていくという。
このパターンは必要ないといった判断が素早く行えるからだろう。
それだけ直感の精度が上がっていくということである。


よく俺は年取ったからダメだという人がいる。
僕は果たして本当にそうだろうかと思う。


これからの時代、衰えていく計算力や記憶力は、全部パソコンにまかせてしまえばいい。
僕自身3日前のことなどはほとんど忘れるようにしている。
そして、出来る限りの情報をパソコンに記録しておく。
出かけた色々な現場で情報が蓄積されている。
それをざっと読んだらいいだけの話である。
計算に関しては、パソコンの様々なソフトを使えばいい。
瞬時にその計算を様々な形に変換してくれる。
視覚的にしてくれるものもあるし、むしろ機械を使って、下手に計算しないほうが時間の節約になる。


物事をうまくすすめるには、経験にもとづく総合的な判断力や直感力のほうが重要であろう。
肉体は衰えているかもしれないが、うまく他の部分で補いながら、判断や直感で勝負すればいいのだ。
長年の経験に基づく直感力の前では、若さは無力になる。


長年の経験を活かせるシステムを作らなければならない。
年を取った人は必要ないとする社会システムを変えていかなければならない。


そして若い人には挑戦の機会を与えていかなければならない。


そのバランスがおかしくなっている。
社会が硬直してしまっている。


あと50年ぐらいしたら、人間と機械のバランスがいい具合になるのかもしれない。
機械をうまく活用した社会が出来上がるかもしれない。
それは本当に暮らしやすい世界だと思う。
今はまだ過渡期なのかな。

2010年12月17日金曜日

ちょっと気持ち悪い話だが、僕の家には鏡がない。
風呂場に小さいのが一つあるのみである。


自分の顔を見る機会がほとんどない。
鼻毛も伸びていると指摘されるにまかせている。
変な所からひげが生えていることにも気づかない。
我ながらとんでもない奴だ。


自分のことなんかどうでもいいと思っていた。
自信があるからやれるのか、それとも社会と関わろうとする意識が低いのか。


おそらく、自分を愛する気持ちが低いのだろう。
締めつけの強い家庭環境だと、自分を愛せない子どもが育つ。
僕はそれに加えてひどい人見知りだったため、社会の中で愛を勝ち取っていくという行為も遅れてしまった。


ではどうすればいいか。
自分でやるしかないのである。


風呂場の小さな鏡を使って、自分に語りかける。
「君を愛している。君はすごい。君は何でもできる」


これが思っていたよりも効果がある。
何と言うか、自分がしっかりと固まる感じがするのである。


自分を愛する気持ちが低い人は是非やってみてください。
鏡とは面白いものです。

2010年12月15日水曜日

洗濯物

僕は生活するのが苦手だ。
特に、身だしなみや身の回りの掃除をするのが大の苦手である。


洗濯物はたまっている。
全体的にヨレヨレである。
そして常に、生乾きの状態にある。


女の子にはモテないだろう。
でも、外見だけで判断しないような女の子は必ずいるはずだと今でも信じている。
そして、「僕なんて、かっこ悪いし、だめなんです」とか相談してくる男には、
「外見だけで判断する奴にろくな奴はいない。そんな所で勝負するのではなく、もっと人間を磨け」と本気で怒ってしまう。


そんな中で、洗濯物をきれいに仕上げようとする人がいる。
Yシャツを白くしようとする人がいる。


ふと思ったのだ。
白くしようとすることは、なんて素敵なんだろうと。


洗濯物が白いのではなくて、その人の心が清いのである。
僕の心は今まで汚すぎた。


もっと心を白くしていこうと思った。

2010年12月13日月曜日

草の手も借りたい

GIZMODEJAPANより、面白い記事の紹介です。


電飾いらずのネオンツリー


草に金の粒子を入れ込むと、自ら発光するらしい。


植物に自発的に協力してもらう時代になったのでしょう。
何だかドラゴンボールの悟空が、元気玉を打つ前を思い出しました。
「地球のみんな、オラに元気を分けてくれ」

2010年12月10日金曜日

幼稚園問題

保育園と幼稚園の統合が進んでいないらしいというニュースを見た。
文部科学省と厚生労働省の役所の絡みもある。
それなのに待機児童の問題がある。


これから子どもの数が減っていくから、国としても面倒くさいことにお金を使いたくないのかもしれない。
しかし、子どもを育てる親からしてみれば死活問題である。


これから高齢化社会が進行していく。
元気なお年寄りもたくさんいる。定年を越えてはいるが、働く元気がある人がたくさんいる。
そこでだ。
地域のおじいさん、おばあさんが子どもを預かるようなシステムはできないものだろうか。


親にとってのポイントは、とにかく子供を預かって欲しいということなのではないだろうか。
そんなときに、お年寄りが主催している寺子屋のようなところがあったら助かるのではないか。
一日単位で利用できるようにして、過度な教育は求めない。
お年寄りの話を聞けるだけで、立派な経験となる。
社会の活性化のために、そんなアイデアが出てくるのを期待している。

2010年12月8日水曜日

演じる

「演じる」という言葉を聞いて、皆さんはどう思われるでしょうか。


僕はあまりいいイメージを持っていませんでした。
何だか、自分に対してウソをついて、外に向かって自分を表現するような意味合いが「演じる」という言葉には含まれているような気がしていた。
ウソをついているイメージ。


辞書なんかには、
「ある場面、状況などにおいて、ある印象を見る人に与えるよう行動する。」
と書いてあります。


つまり、自分を見ている人に対して、どう思われるかを客観的に感じながら行動している状態が、演じるということ。
他者を意識しているかどうかがポイントなのではないでしょうか。


何だか最近世の中が変だなあと思ったら、演じる人が少なくなったんだと思います。
人からどう思われても構わないと言ったら言いすぎかもしれないけど、人の目を気にするくらいなら自分を押し通せ、みたいな社会になっている。
人の目を気にしていられないほど余裕がないのかもしれない。


僕は何だか、それを個性だと間違って捉えている人が多いように感じます。


基本があってこその逸脱です。
他人がいる中での自分です。


自分の顔はひとつではない。
父親の顔と、会社の顔、男の顔。
使い分けてください。演じてみてください。


そうすりゃだいぶ楽になると思います。
なんのこっちゃ。

2010年12月6日月曜日

人工肝臓

IPS細胞と同じようなものなのか、わからないが、さらに進化しているようなので書いておきます。
人間の細胞から小さな人工肝臓を作り出す事に成功



遺伝子を操作して、新たな人間を生み出すことには抵抗を感じる。
だが、自分の細胞から壊れている組織の修復を目的として新たな器官を人工的に作りだ出すことはどんどんやってもらいたい。



別の人間から移植を受けると、自分の体が受け付けない場合がある。
自分の細胞を元にしているなら、その確率も減るに違いない。



人間の環境に対する適応能力にも限界がある。
それを補うようにさまざまな技術が生まれてくる。
いったん環境をリセットできればいいのだが、時の流れというものはコントロールできない。
そんな中で、自発的に人工肝臓のような技術が出てくる。



便利なものはどんどん使っていけばよい。
技術も進化していけばよい。
しかし、考えなければならないのは、どこまでいっても人間はそう簡単に進化できるものではないということ。



こういった時代に、僕はやはり、人間にしかできないことを大切にしていきたいと思う。
そして、人間なのだからという視点を忘れないようにしていきたいと思う。

2010年12月3日金曜日

レイテ決戦

この間、ふと戦争について考えてみようと思って、YOUTUBEの映像を見ていた。
普段は遭遇しないような、衝撃的なドキュメンタリーなので、考えたくない人はみないほうがよいです。
第二次大戦終盤のレイテ決戦。

 
果てしなき消耗戦・証言記録・レイテ決戦 1/7

 
補給もない、勝目もない中で戦いに向かっていった日本。
1万5千の兵が取り残され、脱出できたのは4千人。

 
当時戦っていた日本軍の兵隊のインタビューもあります。
現代で生きる僕らには到底想像できないような、常軌を逸した状態。
死んでいった仲間のことを、淡々と語る彼らの姿。
そして、ふと思い出したように遠くを見る彼らの眼。
何を見て、そしてどうやって生きてきたのか。



戻ってきてまだショックも収まらぬだろうに、敗戦からまた再び生きていこうとした人たちのバイタリティは、すごすぎる。


現代に生きる僕らは戦争中に比べたら、平穏で、快適な生活を送っている。
そんな生のありがたみに、気づく機会もなかなかない。


そして、一見幸せに見える僕らの生活も、何も変わらない安定を前提としている分、つまらないのかもしれない。
それはそれで考え物だ。
ちょっと不謹慎かもしれないが、安定という状態も、それはそれで刺激のないつまらないものなのかもしれないと思ってしまった。
戦後の日本人がちょっとだけうらやましくなってしまった。

2010年12月1日水曜日

初めからあふれている

GIZMODEJAPANの記事より。

いくか2000万円! アップル初のパソコン「Apple I」の超美品オークションが間もなくスタート


アップルが最初に製作したパソコンが、オークションにかけられるそうです。


ぱっと写真を見てすごいなあと思うのは、やっぱりそのデザイン力。
遊び心と、冒険心が自然と湧いてきそうな作りになっています。
外側の大半が木でできているんじゃないか?


マイクロソフトには遊び心が欠けているし、アップルには大衆性が欠けている。


アップルとマイクロソフトが共同でパソコンを開発してくれないでしょうか。
そしたらもう言うことないんだけどなあ。