2012年11月30日金曜日

マルチタスク問題

アゴラの記事より。
日銀法改正とマルチタスク問題(続)


日本経済は現在デフレであるといいます。
そして、大人たちはどうやら、
日本経済をインフレに持っていきたいようです。


アゴラの記事では、マルチタスクである問題を単純化して考えてしまうことの危険性を訴えています。
マルチタスク問題とは以下のとおり。
再掲すると、「複数(マルチ)の次元で成果が評価されるべき仕事(タスク)において、計測が比較的容易な次元にのみ力点をおいて評価を行うと、かえって望ましくない結果を招来しがちだというのが、マルチタスク問題である。」


計測しやすい事柄ばかりに目が行きがちになり、
判断を誤ってしまうことの危険性。
仕事を選ぶときに、給料や労働時間、通勤時間などの計測しやすい事柄ばかりにとらわれてしまい、
仕事内容や人間関係といった計測が難しい問題を度外視してしまうと、
やるきがなくなってしまうという問題を起こしてしまいます。


日銀の存在が何のためにあるのか、まだまだ僕は理解はしていませんが。
日本銀行の法定された目的は「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」であるが、これはまさに「複数(マルチ)の次元で成果が評価されるべき仕事(タスク)」である。しかるに、この間、日本銀行の成果(パフォーマンス)をインフレ率という指標だけで評価するような風潮が政府と政治の側において強まった結果、日銀法の改正を待つことなく、日銀の行動にすでに変化が生じてきているように懸念される。


貨幣の量や金利をコントロールすることに意味があるのかどうか。
とにかく、インフレ率という指標だけを頼りに世の中をコントロールすることだけはやめていただきたいものです。


計測可能な領域では、国は存続しているかもしれないが、
計測できない領域では、国が滅んでいるという状態もあります。


マルチタスク問題という考え方を、改めて認識するいい記事でした。

2012年11月28日水曜日

やることを20パーセントカットする

ライフハッカーの記事より。
やることが多すぎて悩んでいる人は、タスクリストの20%をカットすればうまくいく
 

時間は自分で作るものです。
そして、Noと言うのも大切なことです。
 

やりたいことをやるために、やらなくてもいいことを減らしてみようという内容の記事です。
その方法はズバリ、やることのうちの20パーセントをカットするというもの。

1日は24時間しかありません。過ぎた時間は1秒だって取り戻すことはできません。やりたいことをする時間をもっと増やすには、やらなくてもいいことをする時間を減らすしかありません。24 時間の20%は4.8時間です。つまり、やりたいことや本当にやらなければならないことで、これまでできていなかったことに当てられる時間は、およそ5時間分みつくろえるという訳です。これで問題は解決です。時間は作るものです。
 

一日の計画をたてたら、そのうちの20パーセントを思い切ってカットするという発想は非常に斬新で、説得力がありました。
実践してみようと思います。












2012年11月21日水曜日

あたりまえ

ライフハッカーの記事より。
成功する人がやっている10の「あたりまえ」


成功する人は一体毎日何をやっているのだろうか。
人と違う食べ物を食べていたり、いいベッドに寝ていたりするのだろうか。
そんな妄想を描きながら、自分には関係の無い話だと諦めてしまう。


しかし、このブログの記事で紹介されているのは、
成功者の突飛なアイデアでもなければ、絶え間ない情熱の継続でもない。
まず、あたりまえのことを当たり前にやってみることを勧めている。
これなら私にも出来そうだ。


紹介されている10のあたりまえは以下の通り。
1.まず自分から与える
…もらうことを当たり前だと思っているうちは貧しいまま。豊かな人ほど与えている
 
2.才能がなければ進路変更する
…努力でなんとかなると思って不幸になっている人が多い
 
3.人生を楽しむ
…毎日ワクワクしながら目覚めるにはどうしたらいいかを考える
 
4.自分を好きになる
 
5.他人や環境のせいにしない
 
6.もらい過ぎないようにする
…どこかで分不相応にもらったら、誰かにどこかで奪われるのだそう
 
7.続ける
 
8.視野を広くする
…人生で落ち込まない人はいないのだから、落ち込んだら俯瞰する。
 
9.あたりまえのことはひとつもないと気づく
…あらゆる問題は、感謝を忘れていることから発生する。仕事の悩みも、仕事があることを感謝するのを忘れているから発生する。失恋にしても同じこと。生きていることの奇跡を思い出せば、あたりまえのことなどひとつもないことに気づくそうです。
 
10.すぐ動く

























僕が特に忘れかけていたのが3番と9番。
毎日が九通の連続であるとしか感じられなかった。
そして、毎日満たされていることに気づけず、それが当り前だと思っていた。


変えていきたいと思います。

2012年11月19日月曜日

脳の音楽

Wiredの記事より。
14歳と31歳の「脳の活動」を音楽化


ブログの記事では、14歳と31歳の人の脳の電気信号と血流をもとにした、
音楽が紹介されている。
人の脳から導き出された音楽の、
楽譜と音楽データが掲載されている。
(Quick time playerで試聴が可能)


一度聴いてみてほしい。
これはもう鑑賞に耐えうるレベルの音楽だ。


もはや現代に作曲家はいらないのではないかと思ってしまった。
なぜなら、現代に生きる人間皆が、それぞれの音楽を奏でているのだから。


非常に刺激的な記事だった。

2012年11月2日金曜日

普遍的な

BLOGOSの記事より。
未来に不安を感じる人ほど「教養」を学んだほうがいい。


未来は不安だ。
何が起こるかわからない時代。
不確実性が多くなってきた時代。


そんな時にこの記事の著者は教養を身につけることが大切だと説く。
同じ対象物を見ても、文脈の情報を持っている人と持っていない人では見えてくるものが違ってくる。それによって、戦いに勝つ者が現れたり、新しい商売を始める人がいた。話がうまい人が周囲を巻き込み多くの仲間を作ることができた。


私は今までそれなりの教養を身に付けてきたつもりだ。
しかしながら、教養が人生に必要なのかどうか、未だに分らない。
むしろ、教養がモノの見方を邪魔して、うがった見方をしてしまった事の方が多いように思う。


”今”必要とされているものを身につけたいのであれば、“今”稼げる技術や“今”重宝される技能を学ぶほうが手っ取り早い。しかし、昔から「教養」が尊重されてきたのは、時代が変わっても、流行が変わっても必要とされる普遍的な自己投資が必要だと考えていたからだろう。


今必要とされている技術、今稼げる技術ばかりがもてはやされる。
そして、それは一時しのぎに過ぎないことは私もよくわかる。
一時しのぎだけでは世の中を渡っていくことは難しいらしい。
普遍的な自己投資、それが教養であると著者は説く。


結局何が正しいのか、何を身に付けたらいいのかは未だに分らない。


普遍的な教養を知識として持ち合わせながら、
赤子のような目で、世界を見ることが出来る人間。
そのような人間に私はなりたいと思った。