2010年7月30日金曜日

経済戦争

トヨタが一時期、プリウスのブレーキ不具合でアメリカからやり玉に上げられました。

トヨタはアメリカに呼ばれて、謝罪させられた。

 

そんな車の不具合なんか、どこの会社でもある。

今になって、ブレーキの不具合ではなく、操作する人のミスだった可能性があるとアメリカが再調査に乗り出しています。

 

とにかく他の国の産業がつぶれれば、自分の国の産業が伸びる可能性があるということで、つぶし合いなわけです。

 

現代では国家間で激しい経済戦争が行われています。

爆弾打って、戦争しかけてのやり方はもう古い。

経済分野で国家が主導して、ゲームを仕掛けていく。

 

国対一企業の戦いはやっぱり企業が不利になる。

そこで国が守ってやる必要があるのです。

 

日本には、海外から自国企業を守ってやる姿勢が見えない。

税金の徴収ばかりを考えていて、海外との競争という視野がないのかもしれない。

 

そんなことじゃ今からの時代やっていけません。

体外経済戦争対策として、英語のできる法律家の育成が急務だと思うのです。

2010年7月26日月曜日

IPS細胞の今後

IPS細胞が2032年に実用化されるというのが世界のコンセンサスらしい。
人工多能性幹細胞 – Wikipedia

 

人間に実用化されるには、さまざまな課題があるだろう。
倫理上の問題、経済的な問題。 人間の命に対してどこまでコントロールするのか。広く一般に普及する可能性はあるのか。

 

問題は山積みなのかもしれないが、この技術が実用化されれば、究極の社会保障になるのではないか。
限界まで頑張って病気になっても、新しい臓器と入れ替えることができる。
それは、これからさらに複雑になって行く社会において、最後の安心を人類にもたらしてくれるのではないかと思う。

 

IPS細胞の開発が進むことによって、命の質も変わってくるだろう。
僕は、そのメリットにかけたいと思う。

2010年7月23日金曜日

参院選を振り返って

今回の参議院選挙を見ていて感じたことがある。
政治はまたひとつ新しく変わったのではないかと思った。

 

やはりどう考えても、民主党か自民党かで選ぶのには無理がありすぎる。
事柄ごとに、良し悪しがあるはずだし、ひとつの政党がすべて正しいわけではない。

 

今後は政党を超えた結びつきが生まれて行くことだろう。
政策ごとに党の垣根を越えて協力しあう。
世代の違いによって、意見の合うもの同士が結びついて法案を作っていく。

 

派閥だ、利権だ、数だと言ってお互いつぶしあっている場合ではないと思う。

 

それから国民の側も、過度に政治に期待するのをやめにしたほうがいい。
これから先の未来なんて、誰にも分からない。

おそらく政治家にも分かっていない。

2010年7月21日水曜日

人間、しぶとい存在

人生長いこと生きていると、失ってからその存在の大切さに気づくものがあります。
健康だったり、愛した人だったり、過ぎていく時間だったり。

 

またその逆のパターンをあります。
失ってみてから、
「何だ、俺はあんなもののために悩んでいたのか」
と気づくようなもの。

後から考えてみたらどうでもいいわと思ったり。

 

人は、何かを失っても結構しぶとく生きようとするものです。
失って気づく大切さ、しょうもなさ。
どちらにしても、自分にとっていい経験になることは間違いない。目の覚めるような気づきを与えてくれます。

 

以前はとにかく「別れ」が怖かった自分。

でも、失うことにも大いなる新たな発見が期待できると分かった今、別れに対する怖さは消え去り、感謝の気持ちが芽生えてきたのです。

2010年7月19日月曜日

空想

つまんないのは、しあわせに甘えて空想というものをしなくなってしまったからだ。

そんな文章をどこかで読んだ。

 

全くその通りであると思った。

とにかく現代社会では、人々の想像力が落ちていると思う。

子どものIQは昔に比べて上がっているが、想像力は落ちてきているというアメリカの研究結果もあるみたいだ。

 

 

何でも自分以外のサービスや機械がやってくれる。

自分はただ日々の仕事をこなしていればいいという状態。

モノがありあふれている。買ってしまえばいいじゃないかという姿勢は想像力を落としていく。

 

現代は昔に比べて技術や文明は進化したかもしれないが、頭を使うことに関しては、原始時代よりも落ちているような気がする。

原始時代に比べて命の危険が減っている。安全すぎて、どうでもいいような所に文句を言う人が多くなっている。

日々の暮らしが安全で、パターン化されていくことの危険性。

 

脳が固定化されないためにも、日々新しいものを求めて、リスクを必要以上に恐れないで立ち向かって行く必要があるのではないかと思う。

2010年7月16日金曜日

新しくしていく

生物は絶えず細胞を新しくしている。

生きるということは、新しくしていくこと、何かを生み出していくこと。

 

別に偉大なる発明をしたり、新商品を開発したりすることばかりが生み出すということではない。

ちょっとだけ前に進めるだけで、少しずつ改善していくことで、毎日は新しくなっていく。

 

そんな生きているという感覚が、他人と共有しづらい環境になってきているのかもしれない。
知らない人と生きているという感覚が薄まってきているのかもしれない。
そして、人間一人ひとりの、生きているという感覚が薄まってきているのかもしれない。

 

毎日は同じように見えて、日々刻々と変化をしている。

僕はちょっとした変化を見逃さないような眼を持った人間になりたいと思う。

2010年7月14日水曜日

風呂に浮かぶ5次元の世界

風呂に浮かんでいる髪の毛や脂が水面近くで、一つの層をなしている。

食事中のかたごめんなさい。

そこに浮かび上がってくる気泡や熱量。

風呂を掃除していない自分のふがいなさ。

 

リサ・ランドール博士という女性がいる。アメリカの理論物理学者。

 

今までは空間+時間の4次元の考え方が主流だった。

そして最近では5次元の考え方が当たり前になっている。

 

博士は、5次元世界を世の中に分かりやすく説明しようと、世界を駆け回って講演をしたりしている。

YOUTUBEで講演の様子を見ることができるが、5次元という今まで気にも留めていなかった世界を紹介してもらって、ありがたく思っている。

 

頭のよすぎる人は何を考えているかわからない。

風呂の水面の一つの層みたいなものの連続を、5次元とはこんなものかとイメージしてみたのだが、おそらくそんなのんきなレベルではないのだろう。

 

YOUTUBEの映像で、ランドール博士は5次元の説明を台所で行っていた。

面白いのは、5次元の世界の衝撃というより、そんなことを考えながら、パンをスライスしているお母さんがこの世の中にいるという素晴らしさだ。

2010年7月12日月曜日

体験を買う時代

山登りといえば、一昔前までは子どもを送り出した後の、熟年夫婦のイベントのイメージがありました。

でも最近は若い人の間でも、山登りが流行っているらしいです。

 

アウトドアブームは“単なる流行”ではない。-ダイアモンドオンライン-

 

山登りグッズも若い人向けに様々な商品が出ているみたいで、楽しみな分野です。

 

 

僕の友達でも、20代で山登りを趣味にしている人がいます。

写真を見せてもらいましたが、たしかにそこには普段の生活では得られないような、大きなものを感じている友人の姿が写っていました。

 

 

何もかもが平均化、一般化されていく時代。そして大きな成長が社会に見込めなくなってきた時代。

若い人は物質的な満足よりも、生きていることの確認、より大きなモノを感じる機会に重きを置いているような気がします。

 

これからはモノを売るということではなく、行為、体験をパッケージングして売っていかなければならない。

そのモノに価値があるというより、そのモノを使ってどういった体験ができるのかを売り出していかなければならないような気がしています。

2010年7月9日金曜日

バクチ

世間では野球賭博(とばく)が問題になっている。大相撲の存続が危ぶまれている。

 

賭博なんかみんなやっている。大したことはない。それなら競馬やパチンコはどうなるのかという話になってくる。

 

僕がこの問題で危険だと思ったのは、ヤクザが絡んでいれば何でも悪だと決めつけてしまう一般感情である。

 

暴力団は悪いことをするから。いやいや、国や政治家だって悪い事します。そして、あなたの信頼している人も悪い事するかもしれない。

 

国が決めているから仕方ない。暴力団=悪だという単純なレッテルを貼ることが、僕にはどうも腑に落ちない。

 

大切なことは、誰がやっているかを見ることではなく、やった事柄をしっかり判断することなのではないか。

 

 

世の中色々怖いものがある。お化けに、地震に、母親に。数え上げたらきりがない。

 

その中でも一番恐ろしいのは、一度レッテルを貼ってしまったら、そうだと信じて疑わない人間一人一人の心なのではないかと思う。

2010年7月7日水曜日

ツイッター小説の可能性

ツイッター小説がはやっているらしい。以前は携帯小説なんてものもあったが、もっと凝縮された世界だ。140文字以内で完結させなければならない。

 

一篇だけ作品を見たことがあるのだが、単なる流行などとバカにしてはならない。そこにはふと心を動かされるような世界観が詰まっていた。

 

これまでの小説は、書き手が一人の場合が多かった。

 

今からの時代、ツイッターなどで短い文章が連なって、ひとつの作品を形作っていく可能性がある。当然書き手は複数になってくる。64人になる場合もあるだろう。

 

だから、結末が誰にも予測できない。導入部分を最初に提示した人にもわからない。スリリングな展開が楽しめるのではないかと思う。

 

どの文章をつなげていくかは投票によって決めるといいかもしれない。

 

例えば、

 

「ヨシオはたった今彼女を殺してしまった」

「その後、ラーメン屋に入り、塩ラーメンを食べた。煮卵がうまい」

「かたわらには、オート三輪が停まっている。ふとその車体を見ていると、優しかった祖父を思い出した」

 

みたいな、異なった書き手によって展開される、意味の分からないようで、筋は通っている面白い文章が出てくるのではないだろうか。

 

文学の新たな可能性がちょっとだけ見えたような気がした。

2010年7月5日月曜日

IMAGINE

ジョンレノンの「イマジン」という歌がある。

~国境のない世界を創造してごらん~とかいう、理想的な歌だ。

 

もともと国民国家の概念は、17世紀の欧州で軍事境界線をひくために作られたという話をどこかで見たことがある。

太古の昔には国境の概念もなかったのだろう。しかし、国境がないほうがいいかというと、それも怖いような気がする。

国家というコミュニティ同士の競争がないと、面白くないような気がするからだ。

 

現実的に国境をなくすのは、あと何年かかるか分からないから非現実的だ。

 

インターネットならそれが可能な気がする。

本当に国境も、人種も、貧富の差も超越しているからだ。

 

この先、様々な形での規制が行われていくと思うが、この世界に関してはそんなに心配はしていない。

誰かが情報を公に出せば、一瞬にして拡散するシステムがそれなりに出来上がっているからだ。

 

これからは権力に屈服しない、個人の力が重要になってくる。

情報を受けてばかりだと、取り残される。

 

発信していくことが大切なのだ。

 

「昨日肉まんを食べました」でもいいと思う。

ウソだっていいと思う(笑)

 

肉まんを食べたというウソをつく人間がこの世の中にいることが分かることは人類にとって、限りない可能性を秘めている。

2010年7月2日金曜日

寄付という考え方

サービスに対するお金の払い方について。

僕は寄付という考え方がこれからもっと広がっていくと思っています。

 

 

サービスを作った人に対して、応援の気持ちでお金を払う。

共感できた活動を行う人に対して、お金を払う。

 

個人で寄付することは難しいです。

そういった感覚が日本にはあまりないし、たった300円を寄付しますとか言うと、バカにしているのかと思われたり。

 

しかし、額は問題ではないのです。小さなものがたくさん集まれば、それは次第に大きな流れになる。

 

気持ちがダイレクトに届く仕組みがもっと簡単に、気軽にできるシステムが、この先どんどん出てきてくれればいいなあと思います。

 

スイカみたいな1000円単位でチャージできるカードみたいな寄付用カードがあって。

 

勝手にとられて文句を言っているよりは、自分の意思で、自分の力でダイレクトに人を応援していくシステムができてくれば世の中楽しくなってきます。

ちょっとでもいい。ちいさな自分でも何かしらできるのだという形を具体的に行動に移せるシステムを作っていく必要があります。