2011年5月30日月曜日

自分に必要な部分をとことん突き詰める

サポティスタの記事より。
ヨーロッパで活躍する身長180センチ前後のCBたち


サッカーのセンターバックは、身長が高いほうが有利であることは間違いないでしょう。


センターバック(英: CenterBack)とはディフェンスライン中央のゴール前方に位置するディフェンダーのこと。 広義ではストッパー、スウィーパー、リベロも含む中央を守るディフェンダーであるが、狭義では4バック時の中央の2名(5バックでは3名)である。
(Wikipediaより引用)


簡単に言うとセンターバックは、ディフェンスの中央に位置する専門家。
現代サッカーは複雑なので、一口にこれだと定義はできないのですが、相手フォアードの動きを封じて、得点を入れられないようにするのが仕事。
サイドからクロスが上がったら、跳ね返す。
裏を取られそうになったら、スペースをつぶす。
ドリブルで抜かれたら、カードをもらわない程度に倒しに行く。
相手フォアードの戦意を喪失させたら、勝負は勝ちです。


そして、目からウロコだったのが、この記事でも扱われているように、181cm以下でもワールドクラスで活躍しているDFは沢山いるという事実。


ここに名前を連ねている選手たちは、DFにとってディスアドバンテージとも言うべき身長の低さを乗り越えて、トップレベルでプレーしている選手ばかりです。そして、それ故にDFとしての特徴もハッキリした選手ばかりとも言えるでしょう。ポジションこそCBではないものの、インテルの長友佑都もそうだと思いますが、自分に必要な部分をとことん突き詰められれば、十分ヨーロッパの舞台でも通用する選手になれることを彼らの存在が証明しているのではないでしょうか。


サッカーが面白いのは、こういったポイント。
単純に体が大きければ有利なわけではないし、身長が高ければ競り合いに勝てるもんではないというところ。


長友選手の例が取り上げられていますが、これからの日本人も、特徴をとことん突き詰めて、身体的には劣っていても、海外で活躍する機会が増えるのではないかと思います。


センターバックを身長で分析してみる。
いい記事でした。

2011年5月27日金曜日

節電に関して思うこと

街では、電力の不足に協力する人や企業、施設、団体が節電をしています。
その気持ちは非常によくわかる。効果もある程度はあるのでしょう。
この夏は本当に電力が不足して、大丈夫だと思っていた都市部でもいきなり停電になるかもしれません。


しかし、震災から3ヶ月近くがたって思うことがあります。
極端な節電は、やめにしないかということです。
ちょっとやりすぎではないかと思うのです。


太陽の光が降り注ぐ昼間でも、やっぱり灯りを消した電車の中は暗い。怖い。
商業施設でも、光が当たらないところは暗い。よく見えない。
あまりにも節電を意識しすぎて、気持ちまで暗くなってしまいます。


やっぱり、昼間暗いところには、犯罪がはびこりやすいと思う。
光が当たっていないから、人目につかないから、悪い気持ちになってくる人も多いと思う。


ここは今一度考え方を変えて、また一から立ち直って行くんだから、明るく行こうという流れにならないものか。
とにかく我々人類は、また新たな手段を開発して、電気を作っていくんだという流れにならないものか。


電気を使用することが前提で作られた人工的な構造物。
電車、ビル、街。
太陽の光を取り入れて暮らせるように作られていない以上、やっぱり無理やり電気を消すと、おかしな感じになってきます。
ただでさえ不安が募っている時期であるのに、行き交う人々の不安感を、街の暗さが増長させているように感じるのは僕だけでしょうか。


極端な節電は、もうやめにしないか。
太陽の光でやるのだったら、そういったモノを新しく作っていこうではないか。
そう思います。

2011年5月25日水曜日

直感力

ライフハッカーの記事より。
自分の一番の強み「スーパーパワー」が分かっていれば、どんな状況も乗り越えられる


自分の強みは一体何なんだろうか。
いまだに分らない。
最近は何がなんだかわからなくなって、さがすこと自体もやめてしまっている。


大学の頃。
就職活動中にみんな、自己分析をしていた。(僕は一切就職活動自体を一切やらなかったが)
若いのに、よくやっているなあと思った。
そんなハタチそこらで、自分の強みなんで分かるもんなんだろうかと思った。


少々都合が良すぎる考えに感じるかもしれませんが、もし、自分の一番の強みや特徴について時間を掛けて考え、見つけ出したら、毎日自分が行うすべての事柄にそのパワーを注ぎましょう。処理能力が高い、創造力がある、論理的、直感力が鋭いなど、どんなことでも構いません。少なくとも、本来の自分の姿のままでいられれば、その強みがあなたを導いてくれます。


そんなに簡単に自分のいちばんの強みや特徴が分かったら、すでに実行しているだろう。
わからないからこそ、人は強くなれなかったりするのではないだろうか。


人生、自分の強みを発見するための道のりだと考えることもできる。
何度も失敗を繰り返して、膨大な時間と労力を使って、自分の中から強みを削り出していく。
そう考えると、遅かれ早かれ、生きているうちに見つかっただけで、それは幸せなことなのかもしれない。


僕は思う。
必ず誰しもに「スーパーパワー」があって、それがある時点できっちり活かされる時が来るということ。


あきらめずにがんばりましょ。

2011年5月23日月曜日

互いの距離、関係性

ZAKZAKの記事より。
樹木希林「若いころ、暴力は毎晩」…奇妙で深い“夫婦愛”


内田裕也と樹木希林。
この二人の関係性は非常に興味深い。


ロックンローラーを地でいく破天荒な夫と、絶妙な存在感でその場の空気を作ってしまう大女優の妻。


夫婦初共演で話題を呼んだ結婚情報誌「ゼクシィ」のCMで、樹木が「結婚のいいことってなんでしょうね」と聞くと、袴姿にサングラスの内田容疑者が「ノーコメント」、あるいは「ロックンロール!」と煙に巻く掛け合いが絶妙だった。


夫婦愛といったような言葉では語り尽くせない何か。
この二人の間には、宇宙の力を感じずにはいられない。


好きだからといって、くっついているわけではない。
お互いのメリットがなくなったから、離れるわけでもない。


それはもう、「地球と月の距離が何で一定を保って回っているのか」と同じようなことなのかもしれない。


人生には説明のつかないことがたくさんある。
だから面白いのかもしれない。

2011年5月20日金曜日

盗んで盗んで、盗みまくれ!

Lifehackerの記事より。
優れたアーティストは盗み上手!


僕は今まで、自分の完全なるオリジナルアイデアにこだわってきた。
でも、そんなものはないということなのでしょう。
何となくその雰囲気がわかってきたような気がします。


高校の時の学園祭。
オープニングセレモニーの演劇を担当。
先生にも生徒にも、面白かったと大好評。
脚本は全部僕が書いたのだけど、「金八先生」のフォーマットを思いっきりパクっていたもんな。


以下がアーティストが理解していることです。
オリジナルはない。聖書にも書いてあります。「先にあったことはまた後にもある、先になされたことはまた後にもなされる、太陽のもとに新しいものはない」と。
新しいアイデアだといわれるものは、今までのアイデアを組み合わせただけなのです

聖書にも書いてあるなら仕方ないわ。
もうこうなったら、アイデアを盗みに盗みまくって、新しいものを生み出して行きましょう。

宇宙怖すぎ

ハムスター速報の記事より。
宇宙怖すぎワロタwwwwwwwwwwwwwwwwww


僕はハムスター速報を、情報収集の手段として、かなり信頼している。
特に、自分の不得意なジャンルに関しての情報には感謝している。


アニメの話や、芸能界のゴシップ話など、どうでもいい話題が多いのだが、時折ふと心を奪われるようなテーマで話が盛り上がっていることがある。


投稿する人の情報が集まるスピード。
そして、それらのバラエティの豊かさ。


ネット界における情報調査のスピードと精度は、警視庁捜査一課を超えている感さえある。


宇宙に関して何か知りたいとき、どこから調べていいのかわからない。
「宇宙怖すぎ」という率直な心理から入るような気持ちが、学問には大切なのだと思う。


ハムスター速報の少し前の話題も良かった。

ブラックホールの画像怖ええええええええええwww


ハムスター速報には、これからも学問への探究心をくすぐるような話題を振りまいていってほしいものである。

2011年5月18日水曜日

人間も発電しよう

GIZMODEの記事より。
東大、「電流発生菌」の増殖法を開発。菌を利用した「田んぼ発電システム」なんてのも出来るかも!?


田んぼも自ら発電する時代なら、人間も自ら発電しないといけないような気がしてきます。


駅の改札の下に、発電プレートみたいなものを置いて、人が通れば発電するシステムをどこかでみたことがあります。
将来的には、渋谷のスクランブル交差点なんかにそんなプレートが設置されて、街の一日分のエネルギーくらい賄えるようになるのかもしれない。


そして、個人の側から見てみると、歩行時のエネルギーがどうしても無駄に感じます。
両腕にリストバンドみたいなものをつけて、歩いているうちに、一日分の携帯動かすエネルギーくらい作れるようになればいいのに。
歩くのも楽しくなってきて、一石二鳥。


実に未来を感じる記事でした。

2011年5月16日月曜日

ひきこもりと震災

WIRED VISIONの記事より。
日本の震災が「引きこもり」に与える影響 - WIRED VISION
 
 
僕も普段ひきこもりがちの人間なので、「ひきこもり」と称される人間の気持ちはよく分かる。
一旦その状態に入ってしまったら、なかなか抜け出すことはできない。
なぜなら、その状態が非常に心地よいから。


「ひきこもり」になるには様々な要因があると思う。
慢性的な精神障害が原因である場合もあるだろうし、過去に受けたトラウマ、生育環境が原因の場合もあるだろう。


僕自身、日本の画一的な社会構造に疑問を感じて、音楽活動や、表現活動をやっている。
そして、現在30歳になって、一旦社会からはみ出してしまった者の生きづらさを身にしみて感じている。


世の中に、喜んでみずからはみ出そうと思っている人は、そんなにいないと思う。
なぜなら、そんなことを繰り返していては、生きていけないからである。


しかし、世の中には、はみ出してしまう人間がいる。
本能的に、自分の心に従った結果、はみ出してしまう人がいる。


僕は、そういった人たちを丸々擁護するわけではない。
しかしながら、そういった人に対する寛容さを、日本ほど持ち合わせていない社会もないのではなかろうかと思う。
別に犯罪を犯したわけでもない。
中には、少ないながらも、何らかの消費生産活動に加わっている人もいるだろう。
そして、チャンスがあれば、何かの役に立ってくれるかもしれない。
何かの才能を発揮するかもしれない。


チャンスは自分で見つけ出すものだといわれればそれまでだが、画一的な社会構造が生み出した可能性も一概に否定できないのではないかと思う。
そして、「ひきこもり」が変わるなら今だという時期でもあると思う。

2011年5月13日金曜日

厄介な恒温動物

寒さもだいぶ和らいできたが、改めて人間とは厄介な生き物だと思った。
どうやら、人間は適当な温度のもとでないと、活き活きと動けないみたいだ。
15~25℃くらいが快適に過ごせる温度だろうか。



真冬に温かいものを飲むと身体が温かくなる。
だからといって、100℃のグツグツ沸騰したスープは飲めない。
あったまろうと思って、100℃の鉄板の上に寝そべったら、やけどしてしまう。
何て厄介なのだろう。



真夏だってそうだ。
いくら暑いからといっても、真夏に4℃の冷水に入るのにはそれなりに準備がいる。
いきなりどかんと飛び込んだら、心臓が止まってしまうかもしれない。
それならば別の手段を講じてみようと思って、かき氷を一気にかきこむと、ものすごく頭が痛くなったりする。
何て厄介なのだろう。



移動中の電車も、オフィスも、飲食店もとても快適な温度に保たれている。
でも、今年の夏は電力への配慮から、くそ熱い場所が増えるだろう。

  
あまりに無理すると体によくない。
もう警察官もOLも、みんないっそのこと、全裸で仕事をしよう。
クールビズならぬ、オール裸族だ。

2011年5月11日水曜日

前に進む復興

BLOGOSの記事より。
今だからこそ世界最先端に生まれ変わろう 日本復興計画その1
 

金子勝氏の復興策は、できるかできないかは別として、とても落ち着いたものであると思いました。
具体的な提案も、数多く出ています。


こういった客観的で冷静な意見が、現状には欠けている気がします。
感情に訴えかける異見だったり、主観的で、自分のことしか考えていない範疇の考えを述べる人が現段階では多すぎる。


最後のほうに出てくる金子氏の考え方に非常に共感を覚えました。


必要なのは、元に戻る復旧ではなく前に進む復興なのです

復旧、復興という言葉には、元に戻す、以前の状態に戻すというイメージが伴います。
過去の状態に戻ろうとする、マイナスなイメージ、現状維持のイメージをどうしても持ってしまう。
しかし、そうではない、前に進む復興もありえるのではないかと僕も思います。


現代人のライフスタイルには、色々な反省点、改善点があることが見えました。
私たちの暮らしの中には、便利だけれど、危険なものがたくさんあることに気づかされました。
自然の力の前には、人間はあまりにも無力であることを思い知らされました。
生きるということはどういうことなのかを、改めて考え直す必要にも迫られました。


一から立て直していくしかないものもあるでしょう。
全てを失ってしまった人もいるでしょう。
でも止まってはいけない。
失われた時間は取り戻せないが、その時間から、我々は必ず何かしらの気づきや改善のためのアイデアを掴み取らなければならない。


リーダーが頼りない、長期的な目標を感じられないというならば、一人ひとりがリーダーになってやっていくしかないという絶好の機会であるようにも思えます。


世界最先端。
決して数値には現れない、世界最先端をいかに目指せるか。

2011年5月9日月曜日

捜し物は何ですか?

スラッシュドット・ジャパンの記事より。
Google、ペットの消息情報を検索できる「アニマルファインダー」を開始
 
 
ついに迷いペットの検索ができる時代になったかと驚きである。


僕はペットを飼っていないし、基本的に全ての生物が苦手だ。
どうでもいい話題なのだが、少しだけ未来が見えた気がしたので取り上げてみた。


ペットを飼っている人にとっては、これからの迷いペット情報入手手段として、電柱の張り紙よりは有効なものであるのではないだろうか。


この迷いペット検索システムにGPSなどの位置情報技術や、目撃情報提供者ののリアルタイムな情報が加わっていけば、世界中でみつからないモノや人が 極端に減っていくに違いない。


そして、さらに技術が進んでいけば、部屋の中での探し物検索システムが登場してくるだろう。


携帯が見つからなくて、出発前の朝イライラした人は多いはずだ。
とっさの来客に、お客さん用にとっておいたマグカップが見つからなかった人は多いだろう。
冷蔵庫の前に来て、何をしに来たのか忘れてしまった人も多いだろうが、それは年を取った証拠でどうしようもない。


そんな時、未来の尋ねモノ検索システムが活躍する。


買ったばかりのマグカップをとりあえず冷蔵庫に取り付けられた、カメラ付き検索システムに登録しておく。
特徴を瞬時にコンピュータが判断し、分類する。
そしてマグカップに、人体に無害な、生物情報が付与される。


探したいときには、冷蔵庫のモニターに取り付けられた液晶画面で、マグカップの写真をクリックするだけ。
2階の押入れの中にありますよとコンピュータが教えてくれる。


ドラえもんのような話になってしまった。
でも、ペット検索ができるんだったら、家の中のなくし物検索ができてもいいと思う。
人間は、探し物に費やす時間が非常に多いという。
時代よ、早く進化してくれ。

2011年5月6日金曜日

得るものあれば、失うものあり

とてもいい記事がKo's styleにありました。
我々が「ライフハック」で失ったもの - ライフハックブログKo's Style



どんどん加速していく情報社会において、我々は体験をどんどん失いつつあるという内容。
インターネットでなにもかも検索する。
パソコンで処理の高速化を図る。



情報を処理することに関しては、それでもいいのかもしれません。
しかし、体験をしなくなってくる、失敗をしなくなってくると、人間としての発想力、直感力のようなものがどんどん衰えていきます。



100回やって99回失敗すればいい。
やらないことにはどういしようもない。



人間一人で存在しているだけでは何の役にも立ちません。
他の誰かがいて、その人のためにアクションを起こすことができる。



とにかくやってみて、コミュニケーションをとって、失敗して、つながりを深めていく。
そうこうしているうちに物事はうまく回りだしていく。
後は打つ手を打って、自然と湧き上がってくる自分の直感を信じて進んでいくのみ。



これからの時代は情報から、体験が重要になってくる。
僕もそう思っています。
それをどうやって形にしてくかがポイント。


情報と体験がイッキに味わえる方法は何か?

2011年5月4日水曜日

君は何も考えていないのかい

Slashdotの記事より。
「男がセックス以外に考えていること」がベストセラーに。中身は白紙。



こういったアメリカンジョークみたいなものが、日本には欠けているのではないかと思う。
ただでさえ、息苦しい日本の社会。
ユーモアのセンスが街にあふれていることは、無駄な緊張が減って、社会の活性化につながる。


何でも笑いにしてしまう精神というのだろうか。
アメリカ人のそこら辺の精神は強靭だ。
日本で同じことをやったら、不真面目だとPTAからクレームが来るかもしれない。


中身は何と白紙だというこの本。
ノートとして使っている学生がいるというのが面白い。


しかしまあ冷静に考えたら、このノートを商品にしてしまうエネルギーはすごい。
このくらいの気概と情熱と、バカさ加減がないと、モノは売れない。

2011年5月2日月曜日

情報の色

自分は東京に、得体の知れない憧れを抱いて上京してきた。
大学入学が目的だった。
しかしそれは、東京に来るための言い訳みたいなもんだった。


東京にはとにかくたくさんの人がいる。
様々な人間がいることは、チャンスでもあり、リスクでもあり得る。
何かのきっかけが多い分、騙される確率もあがる。
とにかく、ハラハラすることが好きな人はおすすめだ。


今回の震災を受けて、首都の大きさを改めて感じた。
首都機能の脆さと、危うさを見てしまった気もする。
そして、止まったら、とんでもないことになるということを肌で実感したのであった。


東京が華やかだった時代は、もう終わっていくのかもしれない。
これからの若い人達の中にも、あこがれを抱いて地方から上京しようとしている人がいるだろう。


華やかな情報が巷には溢れている。
それらの情報の大部分が、東京に関わるものであることも事実である。
しかし、そんな華やかな世界は虚構であることが多い。
そして、そんなに長続きしない一過性のものであることが多い。
それでも、「東京」という記号に憧れて、挑戦しようというのなら、僕には止める資格も責任もない。


これからの社会は、地方がもっと地域の良さを売り込んで行かなければならない。
東京だけが、素晴らしいわけではないことをPRして行かなければならない。
生きる場所を真剣に人々が考え始めた、今がチャンスであることは間違いない。


インターネットが普及し、様々な情報が簡単に手に入るようになった現代において、地方のPRの下手さには反吐が出る。
新しいモノに対応するスピード感のなさが、若者を敬遠させていることにまだ気づかないのか。


僕はまだ東京にしばらくいようと思う。
わずかに残されたチャンスにかけてみたいと思う。
そして、衰退していく都市の何とも言えない無味乾燥の中に咲いている希望を見つけ出していきたいと思う。