2010年5月27日木曜日

日本

日本はどうやらアメリカの植民地らしい。

 

戦争に負けたけど、独立を回復して自分の力でやっていくのかと思っていた。少なくとも歴史の授業を受けた限りではそう思った。

 

周りの大人に話を聞くと、みんな日本は植民地みたいなもんだという認識をしている。知らなかった、そうだったのか。

 

そう認識していながら、よく毎日を頑張っていられるなあと思った。稼ぎの一部がアメリカに取られるようになっているのに、よく文句も言わず従うことができるなあと。

 

日本は今経済状態があまり良くないのではないのだろうか。

 

そうだとしたら、完全な独立を目指すのか、現在の従属状態を続けるにしても、もっと勘弁してもらうのかをハッキリさせたほうがいいような気がする。

 

普天間基地の問題と合わせても、日本の今後を考えるいい機会に来ていると思う。

2010年5月21日金曜日

ネオダーウィニズム

ダーウィンの進化論という考え方があります。

全部知っているわけではないですが、

「強いものが勝って、強いものが残っていく」

という弱肉強食のような考え方であると認識しています。

 

もう、弱い奴はどうしようもないのかとあきらめていました。

 

しかし、最近になってネオダーウィニズムという新たな考え方を知りました。

「強いものが生き残るのではなく、環境変化に対応できたものだけが生き残るのだ」

というもの。

 

この考え方には非常に納得がいきます。

 

世の中様々な要因が絡まって成立していますから、ただ強いものが生き残っていけるわけではない。

環境に適応できるものは、肉体的、能力的に秀でているものであるとはいえない。

だから世の中には多様性が担保されている必要があります。

 

海から陸への生物の進化の過程。

海の中にいた生物が自ら陸に上がったのではなく、周りの環境が変わった、水が干上がったり、塩分濃度が変わったから上がらざるを得なかった。

 

自分の意思とは無関係に、環境に自分を無理やり合わせていくことも大切だということです。

 

生きていくことは、新しくしていくこと。

それが自分にとって一体何なのか。

価値観が多様化していく中で、生き残っていくためには、とにかく可能性を信じて、ぶつかっていく。

そして、誰が生き残るかは分からないという、この世界はとても面白いと思います。

2010年5月12日水曜日

病と呼ぶか、自分の特徴だと捉えるか

最近街や公共の場を歩いていると、すれ違い様に、
『無視かよ』
と言う人が増えている。


僕は音楽をやっているから耳がいいのか、耳がいいから音楽をやっているのかわからないが、20m離れている人のつぶやきの会話も聞こえてしまう。


最初は『無視かよ』はさみしいだけのわがままな言葉なのかと思っていた。他人に対しての無意識のメッセージのようなものだと思っていた。

しかし、原因は何かもっと深いような気がする。


おそらく現代日本において個人化が進む中で、自分と社会との距離感が掴めない人が多くなってきたのだろう。個人の空間ばかりで、社会を意識する機会が減っているのだろうと思う。


社会生活送る上で、いちいち知らない人、一人一人を相手にしていたらとんでもなく疲れることになる。だから普通は気にしない。


しかし社会を意識せず、個人の空間しか知らないと、知らない人に対して『無視かよ』という発想になってくる。


しかもそれが口をついて出てくるのは、軽度の精神障害の可能性がある。


現代のストレス社会に完全に健康な人はほぼいない。


精神障害を病気だと排除するのではなく、生活していく上で当たり前のものとして受け入れる。僕は何も恥ずかしくないと思う。むしろ不自然な機能に無理矢理自分を合わせようとすると、何らかの歪みが生じるのはごく正常な身体の反応だ。


日本では馴染みの薄いカウンセラーの存在を、ペットボトルのお茶と同じくらい当たり前の存在にしていく必要がある。


そうでなければ、年間自殺者はさらに増える。

 

僕はもう生まれつきのどうしようもない精神障害を抱えているのだが、それに気づくのに28年もかかってしまった。

 

過去を振り返り、色んなものを調べて自力で解明するのには時間がかかる。

 

そんな時、専門家に聞いてもらって時間を短縮する。

 

大切なのは、今自分がどういう状態なのかを認識することにあるのではないかと思う。

2010年5月7日金曜日

食べるということ

モノを食べることに、生命をいただくという感覚が伴わなくなってきていることの危険性を唱える人がいた。

 

 

確かに、巷には加工食品があふれかえっている。

保存がきくし、食べるまでの時間を短縮できる。

確かに便利になった反面、食べ物自体から命を感じる機会は極端に減っている。

 

 

分子生物学では、モノを食べることによって自分の体内細胞と、食物の細胞を入れ替えるという考え方をするみたいだ。

その作業によって常に体内を新しい状態に保って、色んなものと闘う態勢に更新して人間は生きていく。

 

 

食生活が大切なことは分かっていながら、ロクなものを食べていない日々の自分の姿に気づいた。

8回くらい死んでいるモノのごった煮を食べるしかない自分の環境の危険性。

何とか生きていくことはできるかもしれないが、食べ物が悪いことで、健康的な考え方ができなくなってくることもあるだろう。

 

 

 

福岡のものが食べたくなってきた。

 

沖縄の料理が食べたくなってきた。

 

それぞれの地域が長い間に自然に獲得してきた食材の活用方法と料理法。

そして食べ方を再確認する時が来た。

 

30を前にして、体のことを少しは意識しなければと思った。

2010年5月4日火曜日

一生は一瞬

 

最近脳の一部に、死ぬ直前にだけ働く部位があるということを知りました。

一体どういう働きをするのだろうか。

 

 

そして寝る前に、脳を意識しながら、死んだ後はどうなるのだろうとふと想像して眠りにつこうとしていたのです。

 

 

あたりが光に包まれて、色々な映像がものすごい速さで中心に向かって流れていく。

 

そしたら、次の瞬間パッと画面が切り替わって、生まれたばかりの赤ちゃんが見えた。

誰だこれは。

 

 

次に、生まれたばかりの俺を抱く、若い頃の親父と母さんの画が出てきた。

 

 

 


何故だか涙がとめどなくあふれてきた。

 

 

自分では止められないくらいの、涙が出てきた。

 

 

今年で29になるのに。