2010年5月12日水曜日

病と呼ぶか、自分の特徴だと捉えるか

最近街や公共の場を歩いていると、すれ違い様に、
『無視かよ』
と言う人が増えている。


僕は音楽をやっているから耳がいいのか、耳がいいから音楽をやっているのかわからないが、20m離れている人のつぶやきの会話も聞こえてしまう。


最初は『無視かよ』はさみしいだけのわがままな言葉なのかと思っていた。他人に対しての無意識のメッセージのようなものだと思っていた。

しかし、原因は何かもっと深いような気がする。


おそらく現代日本において個人化が進む中で、自分と社会との距離感が掴めない人が多くなってきたのだろう。個人の空間ばかりで、社会を意識する機会が減っているのだろうと思う。


社会生活送る上で、いちいち知らない人、一人一人を相手にしていたらとんでもなく疲れることになる。だから普通は気にしない。


しかし社会を意識せず、個人の空間しか知らないと、知らない人に対して『無視かよ』という発想になってくる。


しかもそれが口をついて出てくるのは、軽度の精神障害の可能性がある。


現代のストレス社会に完全に健康な人はほぼいない。


精神障害を病気だと排除するのではなく、生活していく上で当たり前のものとして受け入れる。僕は何も恥ずかしくないと思う。むしろ不自然な機能に無理矢理自分を合わせようとすると、何らかの歪みが生じるのはごく正常な身体の反応だ。


日本では馴染みの薄いカウンセラーの存在を、ペットボトルのお茶と同じくらい当たり前の存在にしていく必要がある。


そうでなければ、年間自殺者はさらに増える。

 

僕はもう生まれつきのどうしようもない精神障害を抱えているのだが、それに気づくのに28年もかかってしまった。

 

過去を振り返り、色んなものを調べて自力で解明するのには時間がかかる。

 

そんな時、専門家に聞いてもらって時間を短縮する。

 

大切なのは、今自分がどういう状態なのかを認識することにあるのではないかと思う。