2012年4月30日月曜日

1日を3分割する

ライフハッカーの記事より。
考え過ぎのあなたに...ストレスを減らす1日「3分割」法
 

ストレスを減らして目標を達成するためには、こういった悪循環を断ち切らねばなりません。ブロガーのTim Horieさんによると、一日を「考える時間」、「行動する時間」、「リラックスする時間」の3つのパートに分割すると良いそうです
 
 
一日を3分割すると言う考え方は目から鱗だった。
考えすぎてしまったり、行動しすぎてしまったり、行動が極端になってしまいがちである僕。
 
 
ひとつのアクションにたいしても、この3分割の考え方は適応できるのではないかと思った次第である。
 
切れ目なしにひとつのことに集中しても、かえって疲れてしまうことが多い。
 
 
考え、行動、リラックス。
いいかもしれない。

2012年4月25日水曜日

缶コーヒー

現代ビジネスの記事より。
『成功する人は缶コーヒーを飲まない』著者:姫野友美


本の紹介の記事だが、タイトルがギクリとする。
友人にこの本のタイトルの話をしたら、
「それは、成功している人が缶コーヒーを飲む環境にないだけなんじゃないのか」
と言った。


つまり、成功している人はいれたてのコーヒーを飲める環境にあるだけなんじゃないかということ。


僕は一日3本は缶コーヒーを飲む。
つまり、成功しないということだろうか。


毎日しっかりと動くためには、食事が大切だということ。
そりゃ痛いほどわかっているのだが。


記事のポイントは以下の通り。
1.タンパク質をしっかり摂る
タンパク質は脳の働きに欠かせない栄養素。脳の乾燥重量の40%はタンパク質でできており、脳をはじめ骨、皮膚、爪、血液、内臓をつくり、ホルモンや酵素、核酸(DNA・RNA)の材料となる。心身の基盤となるタンパク質をメインディッシュにしよう。
2.脳に必要なよい脂質を摂る
脂質は脳に約50%含まれ、頭の回転を速くする潤滑油の役割を持っている。脳の働きに必要となるよい油(不飽和脂肪酸)を摂って、柔軟な頭脳を育てよう。
3.精製された糖質を控える
吸収されやすい精製された糖質を食べすぎると、低血糖症になったり、内臓脂肪が蓄積して生活習慣病を招く。また腸粘膜の健康にも影響を与え、脳に必要なビタミンを浪費することにも。白米や麺類などの炭水化物のほか、清涼飲料水やスイーツ、スナック類の食べすぎに注意すること。
4.活性酸素を消去する
細胞を傷つける活性酸素は、速やかに消去すること。ビタミンA、C、Eなど抗酸化物質をこまめに摂り、活性酸素の原因となる糖質の過剰摂取をおさえよう。
5.腸内環境を整える
摂った栄養素をしっかり吸収するには、腸粘膜の健康がポイントだ。乳酸菌を摂って腸内細菌を増やす、食物繊維で腸内環境を整えるなど腸の健康づくりも忘れずに。


僕は上記5点の全く逆の食物を摂取しているような気がする。
不健康が続けられないくらい不健康になってきた。

2012年4月23日月曜日

タバコ=肺がんの嘘

BLOGOSの記事より。
タバコは吸った方が良いか、禁煙運動かのトリック(解説編)


かの有名な武田邦彦教授の文章です。

文章の要約は下の引用に尽きる。

肺がんの原因はタバコだが、タバコを吸うと肺がんになるというのは間違っている。


つまり、肺がんの原因=タバコ
であったとしても、
タバコを吸うこと=肺がんになる
とは限らないということ。


僕自身は喫煙者だが、世の中の禁煙ムードがなんだか気持ち悪かった理由がはっきりしたような気がする。


肺がん=タバコだと結びつけて議論をしようとする姿勢。


武田教授は、喫煙することを制限するのは、基本的人権に反すると言っている。
僕はそこまで思わないが、世の中が基本的人権に入りすぎだろうってことが増えてきた気がする。

喫煙している人と、禁煙運動をしている人を見比べると、喫煙している人は善良に見えるし、禁煙運動の人は善良には見えません。

2012年4月16日月曜日

金儲けなんて

現代ビジネスの記事より。
若者の「金儲け」離れは、「金儲け」の意義が実感できないから


若者というのはいくつくらいの人のことを言うのかわからないが、
まあ、20代くらいまでだろうか。


現代の若者が金儲けを望まなくなったということは確かにそうかもしれないと思う。
クルマを買わなくなったとか、持ち家なんていらないとか。


「若者」とひとことで言っても非常に多様ですから、もちろん例外はありますが、「ある程度の衣食住と、ネットに繫がる端末と、家族・友人とのつながりがあればそれで十分」といった価値観の人が増えているのは間違いないでしょう。

あきらめのような感覚が社会に蔓延していることも確かである。
右肩上がりだった時代も知らず、日本がこのまま終わってしまうような感覚を密かに感じ取っている若者たち。
今が良ければいいを地で行っているような若者たち。


成長しなくなった社会環境において、少ない収入で生活を楽しんでいこうとする人々の姿勢はわかる。
世の中に最低限のサービスがあり、安くてもいいものが行き届いていて、生活していく上での満足度が増している状況もあるのだろう。


若者に金をもうけてやろうという気持ちがなくなったのは、現状への満足が拡大しているというからだという指摘は以前からあった。
この現代ビジネスの記事で気になったのは、そういった精神論ではなく、今まであまり指摘されてこなかった以下の指摘。

もう一つの要因は、お金を儲けて税金を納めることの意義を、若い世代が体感できていないことにあるのではないでしょうか。

若者に限らず、私たちは「税金は無駄遣いされている」という観念からなかなか抜け出せません。収めた税金が無駄なく使われている、と一人ひとりが感じることができて初めて、金儲け=社会貢献という図式が成り立ちます。メディアの力をもってしても、「税金は無駄遣いされている」という観念の打破は難しいと思います。


世の中の報道を見ていると、税金が正しく使われているのか疑わしく感じられるようなニュースばかりが目立つ。
税金を払っているのがバカバカしくなるようなことばかり。


若者世代というのは、税金の恩恵を感じる機会も少ないのが実情。
身体が悪くて通院する確率も少ないし、地域社会での活動が多いわけでもない。


これからの社会は、金儲け=素晴らしいこと、だとはっきりと言える仕組みづくりを急がないといけない。
また、社会へ対する貢献が無駄にならないように、しっかりと跳ね返ってくるような仕組みを作らないといけない。
何だかバカバカしいっていうのが、現代の若者たちの意欲をそいでいることになっているのが非常にもったいない。
 
 
バブルは崩壊したのだけれど、またバブルを起こしてやろうとするような元気な若者が社会に出現してくれないと。
それはそれで面白くない社会になるのではないか。

2012年4月13日金曜日

インスタントな作品群

Chikirinの日記より。
「作り込み」と「ダダ漏れ」の間


メディアの作り方の違いを説明するChikirin氏。
既存メディアとネットメディアの大きな違いに、「作り込みレベルの差」があります。テレビ、新聞、雑誌や書籍など、既存のメディアは、ものすごい勢いで“作り込む”んです。


既存メディアは取材にものすごく時間をかける。
10分の映像に3日の取材。
キャスティングにしても一流を使い、とにかく作り込む。


それが現代人にはもう飽きられている。
予定調和と嘘くささに疲れきっている。
どこかで見たことのあるものばかり。
作りこめばいいっていう時代ではなくなったのかもしれない。


一方、ネットメディアは「ダダ漏れ」だ。
よくも悪くも嘘がない。
撮ったそのままが流される。
しかし、作りこんでないが故に、面白くない部分が多かったりする。

なんの背景もない壁の前で、公民館のテーブルみたいなところに、メークもしてないダラケた恰好の人が数人座り、なんのストラクチャーもない話を延々としてて、時々内輪話が紛れ込む・・・他の作業をしながら聞くのはいいけど、あれだけを集中して視聴するのは、ちょっとキツイです。


学園祭ノリの素人映像ほど、見ていて吐き気を催すものはない。


作り込みとダダ漏れの間で。
どこらへんに落としどころを見つけて視聴者に提示していくか。
作り込みメディアと、素人メディアの妥協点をうまく見つけていくことはできないか。


プロが素人臭さを追求したような作品がうけるのではと思ったが、
これは、もう奥田民生氏がやりつくしてしまった感がある。


予算もキャスティングも制限された中で、インスタントな制作時間でどこまで高められるか。
そこら辺の安価な機材も環境も、実はもうそろっている段階に来ているのでは?


そうだとしたら、後はアイデアが出てくるのを待つだけだ。

2012年4月11日水曜日

平等

「小さな政府を語ろう」の記事より。
よい平等、悪い平等 伝統の知恵に学ぶ


平等という概念が、社会で実現されようとして長い時間が経っている。

「平等」は至高の価値=正義なのか、 劣情に過ぎない=悪徳なのか。


平等という概念は、耳に心地いい。
あたかも社会において達成されるべき究極の目標のように聞こえる。
しかし、このブログでは平等を切り捨てる。

「かつて不平等の不利益を受けた人間は、それを埋め合わせるべく利益を受け続けることができるので」
平等になるまで敵対するものを攻撃する。
平になるまでブルドーザーでならしてしまう。

(努力なしで) えこひいきシローーー
ということに過ぎません。

まさにそのとおりであるなあと思う。


僕も世の中で使われている平等の意味には違和感を感じていた。
しかしながら、このブログの文章を読んで何だかスッキリとした。
 
 
平等を求めようとする動機が、単なるひがみのようなものに過ぎないということ。


実際に全てが平等になった社会を想像してみるといい。
みんな同じもの考えて、同じものを食っている状況ほど気持ち悪い状態はない。
そういうことじゃないだろうと、平等を求める人には言ってみたくなる。
 
 
そんな中、仏教での平等感がこのブログの中で紹介されています。


仏教での平等……あの世での平等、天国での平等
→俗世間に平等なんてもちこむんじゃないというのが仏教の教えだ   そうです。

 
結論から言うと、概念上、頭の中では平等はいいんだけど、実社会に持ち込んだらおかしなことになるということでしょうか。
 
 
僕は平等というものを追い求めるのは、ただ一つの局面だけでいいと思っています。
「チャンス」という局面だけ。


どんな人間にも、同じ目的の達成のためのチャンスがあってしかるべきだということ。


そこにやはりどの人間も平等だという前提が入ってきたらおかしなことになる気がする。


どんな人間でも首相になれて、どんな人間でもガンを治せるという状態。
それが真に進んだ社会。
平等の原理を間違えて社会は進んでしまったのかもしれません。

2012年4月9日月曜日

頭の中を一旦出す

ライフハッカーの記事より。
頭の中に浮かんだアイデアは「まず外に出すこと」が目標達成の第一歩 - ライフハッカー[日本版]
 
 
頭の中に浮かんだアイデアは、とにかく頭の中で覚えておけるという錯覚がある。
しかし、すぐに忘れてしまうことは皆さんも経験の中から十分承知のことと思う。
 

頭に浮かんだアイデアはできるだけすぐにカタチにする、できない場合も文字にして頭の外に出しておくのが、目標達成の第一歩です。これは基本的ですが大事なことなので、是非実践してみてください。
 
 
やるべき事柄を紙に書き出す。
そして、それをひとつずつ淡々とこなしていく。
TODOリストの作成だけで満足してしまって、アイデアを書き留めておくこと自体を忘れてしまう。
これでは日々の生活に進歩がない。
 
 
現代社会では、アイデアをまとめるツールがたくさんある。
携帯電話のメモ機能、メモ帳、付箋、家のパソコン。
どれに書こうか迷ってしまってはアホらしいので、もうこうなったら周りにある紙に走り書きすることにした。


アイデアはとにかく頭の外に一回出してみるということ。
創作の基本をもう一回しっかりと実践してみようと思う。

2012年4月6日金曜日

FREE&SHARE

BLOGOSの記事より。
型破りバンドに学ぶ、新しい音楽ビジネス


グレイトフル・デッドというバンドがいた。
1960年代の話。
グレイトフルデッドというバンドはなんとなく知っていたが、音楽がすごいというより、その存在が独特だったというイメージが強い。
正直音楽的にはそんなにすごいものじゃない。

グレイトフル・デッド (The Grateful Dead) は、アメリカロックバンド1965年カリフォルニア州サンフランシスコで結成された。グレイトフル・デッドの音楽はロックフォークジャズブルーグラスカントリー、ブルース、サイケデリック・ロックなど様々な要素を内包している。ライブの長時間にわたる即興演奏を信条としていた。
1960年代ヒッピー文化、サイケデリック文化を代表するアーティストである。デッドヘッズと呼ばれる熱狂的な追っかけファンが多く、ヒットチャートとはほとんど無縁の存在ながら、毎年のようにスタジアム・ツアーを行い、常にアメリカ国内のコンサートの年間収益では一、二を争う存在だった。日本では知名度が高くないが、本国アメリカではアメリカを代表する伝説的バンドとして認識されている。現在でも多くの熱狂的なファンがおり、メンバーの使用していた楽器などがオークションに出品されると高額落札がされる。
(Wikipediaより引用)


グレイトフル・デッドのマーケティング手法が話題になっている。
彼らの手法は、FREE&SHARE。
ライブでは観客に録音を認め、フリーで音源を配る。
それなのに、ビートルズやストーンズと争うほどの売上を上げた。


現代では当たり前になったFREE&SHAREの手法だが、
当時からそれを当たり前のように実践し、とてつもない売上を上げていたことは、現代のマーケティングにとって非常にヒントになる。


なぜ、そんなことが可能なのか、僕には全くわからない。
本を買ってみようかしらと思う。


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グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ/デイヴィッド・ミーアマン・スコット

2012年4月4日水曜日

ブログを書き続ける意味とは

新年が明けてからブログを再開した。


しかし、2月、3月とまた更新をサボってしまった。


一旦やめてしまうとなかなか元にもどるのは難しい。
正直、何のためにブログを書いているのかもわからなくなってしまった。


ふとまた4月だからということで、再開したい気持ちになってきた。
ブログがライフワークであった頃の気持ちを思い出してきた。


なぜブログを書き続けるのだろう。
これはもう以下の2点に集約されているのでないかと思う。


①人間として、自分の意見を考え続けるため。
→普段人間社会に生きていると、頭を使っていないことが多過ぎる。脳を劣化させないためにも、普段から何かしらを考えていることの大切さを改めて感じた。

②後から読み直したときに、自分の中に1本筋の通っている芯みたいなものを思い出すことができるため。
→人間社会に生きていると、周りの環境に合わせすぎて、自分の芯みたいなものを忘れてしまいそうになる。あとから振り返って自分の文章を読んだ時に、自分の根底に流れる芯を思い出すことができる。


要するに、究極の自己満足のためにブログを書き続けようと思う。


そうでなければ、自分のアイデンティティが保てない。
もはや、他人の評判はどうでもいい。

2012年4月2日月曜日

システム1、2

池田信夫blog part2の記事より。
Thinking, Fast and Slow
 
 
ノーベル賞受賞者の、Daniel, Kahnemanという人の著作の紹介。
脳の使い方には2種類あることを取り扱った内容の本だろうか。
それを池田信夫氏が独自の視点で解説している。
アメリカの契約社会と日本の共有社会を脳の構造から切り取った話は実に面白い。


下記の図は池田氏のブログより引用。
kahneman


フロイト流の意識、無意識といった切り分け方ではなく、脳の使い方の違いで人間の認識のやり方を説明している所が非常に現代的だ。


意識も無意識も、単なる脳の使い方の違いなのかもしれない。


僕はずうっと日本で育ったので、システム1の脳を使って、知覚からくる現在の判断ばかりやってしまう傾向にある。
現在、過去、未来の体験を使って、もっと推論をおこなっていく必要を感じる。
現在の刺激に反応して、制約の中でモノを考えていると行き詰まるようになってきたからだ。


システム2の脳を使った推論を行うためには、より大きなエネルギーが必要だ。
自分をコントロールし、意識的に脳を使っていくことが要求される。


このシステム1とシステム2の役割分担は、人によっても文化圏によっても違う。日本人に応用すると、日本の製造業の「すり合わせ」の効率性は、システム1 で情報処理していることによるのではないか。誰も命令しなくても多くの人々が整然と行動する日本人の特長は、震災でも世界から称賛されたが、システム1で共有している情報が多く、人々の均質性が高いためだろう。
しかし、このように意識的な処理を省いた効率的な行動は、大きな変化に直面したとき困る。たとえばTPPに参加するか否かという問題は、システム2で論理的に処理しなければならないのに、システム1で過剰なコンセンサスを求め、みんなの意見をまとめようとする結果、民主党政権のような堂々めぐりが起きてしまう。
逆にアメリカ人はシステム1で共有している情報が少ないため、ほとんどの処理をシステム2で行ない、問題を契約や訴訟で論理によって解決しようとする。このような情報処理は効率が悪いのだが、システム1が個別の文化圏に依存するのに対してシステム2には普遍性があるため、新古典派的な合理主義が一定の有効性をもつ。
しかしアメリカでも実はシステム1の処理のほうが多く、それを無視して制度を「合理主義」で設計するとうまく機能しない。人々が資源配分の効率を犠牲にして所得分配の公平を求めるバイアスは万国共通であり、これは人類が小集団で行動していたとき群淘汰によって形成された本能だろう。


日本人はもう少し、システム2の脳を使ったほうがいい。
そうでなければこれからの困難を対処していけないような気がする。


流れとしては1から2に、そして最後に1に戻ってきたときにいいモノが生まれるのではないかという気がする。


そして誰しもが、1と2の脳を瞬時に切り替えて使えるようになったらいい。


そこにはもう、欧米も日本も関係ない、超人が存在しているのみである。