2012年4月2日月曜日

システム1、2

池田信夫blog part2の記事より。
Thinking, Fast and Slow
 
 
ノーベル賞受賞者の、Daniel, Kahnemanという人の著作の紹介。
脳の使い方には2種類あることを取り扱った内容の本だろうか。
それを池田信夫氏が独自の視点で解説している。
アメリカの契約社会と日本の共有社会を脳の構造から切り取った話は実に面白い。


下記の図は池田氏のブログより引用。
kahneman


フロイト流の意識、無意識といった切り分け方ではなく、脳の使い方の違いで人間の認識のやり方を説明している所が非常に現代的だ。


意識も無意識も、単なる脳の使い方の違いなのかもしれない。


僕はずうっと日本で育ったので、システム1の脳を使って、知覚からくる現在の判断ばかりやってしまう傾向にある。
現在、過去、未来の体験を使って、もっと推論をおこなっていく必要を感じる。
現在の刺激に反応して、制約の中でモノを考えていると行き詰まるようになってきたからだ。


システム2の脳を使った推論を行うためには、より大きなエネルギーが必要だ。
自分をコントロールし、意識的に脳を使っていくことが要求される。


このシステム1とシステム2の役割分担は、人によっても文化圏によっても違う。日本人に応用すると、日本の製造業の「すり合わせ」の効率性は、システム1 で情報処理していることによるのではないか。誰も命令しなくても多くの人々が整然と行動する日本人の特長は、震災でも世界から称賛されたが、システム1で共有している情報が多く、人々の均質性が高いためだろう。
しかし、このように意識的な処理を省いた効率的な行動は、大きな変化に直面したとき困る。たとえばTPPに参加するか否かという問題は、システム2で論理的に処理しなければならないのに、システム1で過剰なコンセンサスを求め、みんなの意見をまとめようとする結果、民主党政権のような堂々めぐりが起きてしまう。
逆にアメリカ人はシステム1で共有している情報が少ないため、ほとんどの処理をシステム2で行ない、問題を契約や訴訟で論理によって解決しようとする。このような情報処理は効率が悪いのだが、システム1が個別の文化圏に依存するのに対してシステム2には普遍性があるため、新古典派的な合理主義が一定の有効性をもつ。
しかしアメリカでも実はシステム1の処理のほうが多く、それを無視して制度を「合理主義」で設計するとうまく機能しない。人々が資源配分の効率を犠牲にして所得分配の公平を求めるバイアスは万国共通であり、これは人類が小集団で行動していたとき群淘汰によって形成された本能だろう。


日本人はもう少し、システム2の脳を使ったほうがいい。
そうでなければこれからの困難を対処していけないような気がする。


流れとしては1から2に、そして最後に1に戻ってきたときにいいモノが生まれるのではないかという気がする。


そして誰しもが、1と2の脳を瞬時に切り替えて使えるようになったらいい。


そこにはもう、欧米も日本も関係ない、超人が存在しているのみである。