2011年9月30日金曜日

いつかはみんな辞める

Chkirinの日記の記事より。
「解雇」と「死」は似てる


外資系企業で働いているひとたちの解雇と死は似ているというお話。
外資系は人材の入れ替わりが本当に速い。
いらなくなったらすぐに切られるし、働く側も自分のキャリアの一ページに過ぎないという姿勢で働いている人が多い。
循環が速いから、意思決定も、問題の解決のスピードも速い気がします。


そして、結局最後はみんな会社を辞めるのは同じということをChikirinさんは論じる。
ここまでさっぱりしていると気持ちいい。
仕事を辞めたとしても人生終わるわけじゃないし、また次を探せばいいのかもしれない。


以下は記事からの引用。

なんだけど、日本の大企業や大組織にいる人って、「誰も65才までは死なない。みんな65才で一斉に死ぬ」っていう世界で生きてます。つまり、60才近くなるまでは全く「死」を意識しない世界にいます。
それくらいの年齢になるまで、周りでも誰も死んでいないし、自分が死ぬこともあり得ないし、コンセプトとして「死」が存在しない世界にいるわけです。通常の世界において、若い人が「死」なんてほとんど意識せずに暮らしているのと同じようにね。


子供を育てる責任があろうが、会社で責任を負っていようが、最後はみんな死ぬということ。
会社組織と「死」とをダイレクトに結びつけた、Chikirinさんの視点。
何だか当たり前なんだけど、改めて目からウロコの気分です。
 
 
日本には確固たる宗教観がないから、みんな会社組織に安心を求めているのかもしれない。
 
 
僕は会社に自分の人生をあずけてしまうと、後々とんでもないことになるのは、薄々気づいている。
でも、それをどうやって回避できるのかは、全く見えてこない。
 
 
Chikirinさんは、ある程度極めた人だから、こういった発想が出てくるのだろう。
何もかもが中途半端な自分は、一体どこに向かって歩いていけばいいのかもわからない。
改めてChikirinさんの懐の深さに気づかされました。

2011年9月26日月曜日

音→文章

TechCrunchの記事より。
書き起こし.comが音声コンテンツの書き起こしテキストを投稿・共有するサイトに進化


最近はYOUTUBE、Ustreamなどの動画コンテンツが非常に発展してきました。
講演や勉強会の様子を積極的に公開しようとする形式も、世間に定着してきたような気がします。


実際に出かけて生で聴くのが一番いいのだけれど、そういうのが苦手な人にとっては実にいい時代になってきたと思います。


記事で取り上げられているサービスは、講演やインタビューなどの動画の音声をみんなで文章化していこうとするもの。


2時間近くの講演はざらにあります。そして、そこに出かけていく時間を考えたらとんでもない時間の消費になる。
よっぽど自分が好きな人でないと、丸々2時間の講演を聞くことは退屈で仕方がないでしょう。
そんな時は映像、音声コンテンツを文章にして、しかも重要な発言だけ切り取って10分で読めたほうが効率がいいのです。



映像、音声コンテンツを文章化するという試みは以前からあったような気がします。
しかしながら、そういった意欲のある人が集う場ができたということが大きな前進のような気がします。
新たな場を形成しようとした場合、もう、本当に物理的な空間は必要なくなってきていて、インターネット上の空間があればいい。
そういった流れも加速してきています。


サービスをお金にしようとするのはまた別の才能が必要なのかもしれないけれど、アイデアがどんどん出てきて、形になっていくのを見るのは非常に気持ちがいい。


久々に見つけた面白い取り組みの紹介でした。

2011年9月23日金曜日

円高を使おう

BLOGOSの記事より。
円高を国益にできない日本人 - 伊東 良平


円高が続いている。
おそらくこれは日本に変化があったというより、アメリカに変化があったということなのだと思う。


アメリカが自国での国債の価値を意図的に下げる。
そして、マネーの量を市場に出そうとしたことからくるアメリカの為替の価値の低下。
総体的に日本の円の価値は上がる。


そういった時に円高だから、輸出がダメだといって悲観的になるのはもういい加減に古い。


要するに、日本が円高に「苦しんでいる」のは、自国通貨高を国益にできない、ものづくり偏重の経済構造が原因である。外国から原料とエネルギーを輸入し、製品を作って外国に売る。売った代金は自国通貨に変え、ブランド品など以外は国内の消費と資産に振り向ける。外国から積極的に良いモノやサービスを買おうとしない。この構造を持ち続けている限り、日本人は幸せになれない。


円高だから悪いという発想を捨てなければならない。
円高のメリットを利用して、危機を乗り越えるようなアイデアが全く出てこないのはどういうことだろうか。
そういうのを考えるの人はいないのだろうか。


少子高齢化を進む日本が目指すべきは、「ものづくり大国」から脱皮し「知恵づくり大国」になることだ。人口と国土の規模から判断して、日本は中国と競争しても勝てる訳がない。日本が目標とすべきは、藤沢数希さんが4月29日の記事で挙げられた上位の国々(シンガポール、香港、ノルウェー、スイスなど)である。


そして、日本人個人が積極的に海外に絡んでいく姿勢を見せていくことも大切だろう。
時には、日本を離れて海外で活動をしてみることも大切なのではないだろうかと思う。


時代が急激に変わってきた。
変化のスピードについていけるか。
僕はついていけない。

2011年9月21日水曜日

味方か、敵か。

ダイアモンドオンラインの記事より。
耐えられない糞便臭を一瞬で良い香りに変える!?


糞便臭はすごい。
飲んで疲れて帰る朝方の駅。
ふと立ち寄った公衆トイレで吐きそうになった経験はみなさんにあるだろう。


プロの世界でも解決が難しいとされる糞便臭。
そんな臭いを一瞬でいい香りに変える製品が開発された。


この商品の面白い所は、糞便の臭いを排除するのではなく、味方につけてしまった点。


記事によると、市販されている香水には、実は不快な臭いが配合されている。
その事実を逆手に取り、
香水ー不快成分
の製品を作ったという素晴らしい発想。


製品使用+現実世界での不快成分=いい香り


不快なものを消そうとするのではなく、味方につけようとする姿勢は、これからの外交でも必要になってくる感覚であるような気がします。


目からウロコの素晴らしいアイデアでした。

2011年9月16日金曜日

確証はない

現代ビジネスの記事より。


「東電OL殺人事件」が、ちょっと前から非常に気になっている。
謎の多い事件だ。
僕はこういった謎の多い事件が好きだ。
その裏に隠されているものを知りたくて仕方がなくなってくる。


以下はWikipediaより引用。
東電OL殺人事件(とうでんオーエルさつじんじけん)は1997年平成9年)3月東京電力の従業員だった女性が東京都渋谷区円山町にあるアパートで殺害された事件である。
被害者女性が東京電力従業員であったことから、この名が付けられた。一部では「東電女性社員殺害事件」とも言われる。


東京電力のエリートOLだった被害者女性。
彼女は、夜になると街に繰り出し手当り次第に男に声をかけ、娼婦のような活動を行なっていたことが明らかになった。
その事件の特異性が当時話題になったようだ。


おそらく彼女は極度のストレス状態にあったのだろうと思う。
その解消手段として、見ず知らずの男と関係を持つ。


最近この事件の容疑者であるネパール人男性の、14年ぶりの再審が決まったようだ。


おそらく、当時このネパール人男性が犯人である確証はなかったはずだ。
裁判では以下の状況証拠をどう判断するかが争点となった。
  • 殺害現場に残された使用済みコンドームに付着した被告人の精液と体毛。
  • 被告人は被害者と面識はないと公判開始数ヶ月間は主張していたが、その後で数回性交するほどの間柄であったことが判明して、嘘が発覚したこと。
  • 事件直前に現場近くで被害者とともに目撃された男性が被告人か否か。
  • 現場アパートの鍵を被告人が所持していたが、事件2日前に管理人に返すために同室の人間に鍵を渡し、鍵を所持していなかったとする被告人の供述の信用性。
  • 交遊関係を詳細にしるし、事件直前に会ったのが被告人であるとする被害者の手帳の信用性。
  • 事件前に7万円しか所持していなかった被告人が、事件後に10万円を知人に渡した金の工面。
  • 被告人が働いていた海浜幕張駅近くの料理店で午後10時閉店まで働いた場合、殺害時刻とされる午後11時30分前後まで渋谷駅付近の現場に辿り着けるか。
  • 被害者の定期券が、被告人の土地勘のない豊島区の民家で発見されたこと。

被害者の体内から検出された精液のDNA鑑定結果が、ネパール人男性と違ったことが明らかになったという。
事件直前に被害者と接触していた人物が、ネパール人男性の他にいる可能性がある。
そこをつぶしていないのに、状況証拠だけで犯人だと決めつけてしまうことに疑問が残る。


そう考えると、DNA鑑定結果がでても、それが仕組まれたものだったとしたらとか考えると、余計に事実がわからなくなってくる。
事件当日にネパール人男性が、被害者と話していた様子が目撃されているらしいが、それさえ本当かどうかわからない。
改めて捜査の難しさを考えさせられる。


僕は個人的に、被害者の定期券が被告人の土地勘のない池袋の民家で見つかったという点に妙な違和感を感じている。


もうそれは、被告のネパール人がそこまで捨てに行くわけないし、別の誰かが絡んでいるということの絶対的な確証だ。
人を殺したあとに、わざわざ証拠品を電車に乗って捨てに行く奴がいるだろうか。
そこらへんのコンビニのゴミ箱に捨てたほうがまだリスクが少ないような気がする。


ネパール人は、はめられたのだろう。
だとしたら、真犯人は誰か。


この先は恐ろしくて書けない。
もう少し調査を進めてみます。


まあ、誰が犯人かわからないってのはいいんだけど、別人を犯人に仕立て上げて一件落着に持って行くのは、もういい加減やめたほうがいい気がします。
そっちの方が国民の理解を得られなくなってきます。

2011年9月14日水曜日

球道即人道

現代ビジネスの記事より。
東京ヤクルト 宮本慎也 "究極の脇役”のキーワードは「余力を残す」


僕は野球ではヤクルトファン。
地味な選手の集まりで、頭を使って優勝まで持って行くスタイルが好きなのです。
まあ、東京に住んでいながら一度も神宮球場には行ったことがない。
今年のヤクルトは調子がいいみたいだけど、それさえも浮かれずに黙って見ている。




以下は宮本選手の言葉。
「守備に魅力を感じます。打者がヒットを打つ確率は30%程度です。でも守備では、100%の成功率が要求されます。相手打者や試合の状況によって、守備隊形や位置も変えなければならない。その駆け引きや、求められる質の高さに、僕は大きな魅力を感じるんです」


僕も実際に野球をやると、守備に魅力を感じます。
どうやって相手にいい動きをさせないかということは、守備でありながら、攻撃でもあるのだと思う。


記事には彼のこれまでの野球道が綴られています。
体が細く、プロでやっていけるか不安だったこと。
恩師、野村監督のとの出会い。
プロとして、脇役に徹して自らの役割を果たしていくことを見つけたこと。


そんな守備の男、宮本選手の打撃が今シーズン調子がいいみたいです。
記事にも書かれているが、そのポイントは意外にも余力を残すことだそう。
若い時のようにがむしゃらにはできなくなったかもしれないが、余力を残すようにすることで、また見えてきたものもあったのかもしれない。


宮本選手は、若い世代の個人主義を危惧している。
人のため、組織のために働くことの大切さを教えてくれる。
こんな上司がいたら最高だろうなあと思いました。

2011年9月12日月曜日

天から地へ

All Aboutの記事より。
ここにも不況の影響 スペースシャトル引退へ


30年近くにわたるスペースシャトルの打ち上げプロジェクトが終りを迎えるよう。
スペースシャトルと言えば、「エンデバー」「チャレンジャー」、毛利さん、TBSの秋山さんなど、色々なことが思い出されます。


なぜプロジェクトが終わるのか。
コストがかかりすぎるということがあるみたい。


これからの宇宙開発はどうなっていくのでしょうか。
民間にうまい具合いに受け継がれていけばいいなあと思います。
全く開発がなくなってしまうのは悲しい。


それに関連して気になったニュース。
グーグルが「Amazon Street VIew」を始めるようです。
GoogleのStreet Viewがついにアマゾンの奥地に入り込む

アマゾンの川の流域の様子をストリートビュー化するという試み。
アマゾンの自然保護を行っているNPO団体と協力して、プロジェクトを進めていく模様。


まだ見ぬ宇宙にも知らないことはたくさんある。
でも、まだまだ地球にもたくさんの解明されていないモノがある。
一旦地に足をつけて、地球のことを考えていこうという時代になっていくのかなあと思いました。

2011年9月9日金曜日

カジノ賛成

時事ドットコムの記事より。
カジノ推進法案を策定=今秋にも提出-超党派議連


日本国内での、カジノ導入に向けた法整備が進んでいるようです。
僕はカジノに賛成です。
加治だけに。


とにかく経済が回っていくことが重要。
もう建前も、規律も、道徳も、そんなこと言っている時代じゃないのかもしれない。


カジノができたら、お金を持っている人が使ってくれる可能性が高いでしょう。
そしたら、政治で解決するよりも簡単に所得移転ができるかもしれない。


カジノ建設に伴って、それに付随する産業も興ってくるでしょう。
海外からの観光客を呼ぶためのきっかけともなるでしょう。


犯罪は増えるかもしれないが、それくらいのリスクは覚悟しなけれならないと思います。
とにかく何か変えないと、対策を講じていかないと、傷口はどんどん広がっていくばかりのような気がする、日本経済です。

2011年9月7日水曜日

右脳インプットはどうすればいいの

ギズモードの記事より。
事故で左脳を失って絵がうまくなった女の子


僕はどうやっても、インプットを左脳でやってしまう傾向にある。
文字で見たことは正しいと思い込んでしまう。
それがいいのか悪いのか分からないが、偏りすぎてしまうことが良くないとは思う。
これも、受験教育の弊害だ。


記事で取り上げられている少女は事故で左脳を失ったという。
彼女には世界がどう見えているのだろうか。


不謹慎だが、右脳で世界を感じられるようになったらもっと世界が楽しく感じられるような気がする。
もっと右脳を使って世界を感じられるようになりたいな。


 

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2011年9月5日月曜日

里親は何をしたいのか

BLOGOSの記事より。
杉並の里子死亡事件を契機に知っておきたい里親制度


杉並で起こった、子どもへの暴行死事件。
ちょっとだけ気になっていた。
記事などを読んでいると、子どもの無念を感じ憤りを感じた。


少し調べてみる。
容疑者の母親に日常的な暴行の要素はなかったという。
逮捕された時の母親の顔は、感情のない、鬼のようにも見えたのだが、それだけでこの母親を判断してはまずいと思い、さらに調べてみた。


そうしているうちに、母親が、殺された子どもの里親であることが分かった。
母親には実子の養育経験もあったから、認められたらしい。


里親には大きく分けて2種類ある。
養育家庭…期間が決まっている。途中で親であることをやめてもいい。
養子縁組里親…将来にわたってずっと。
この事件の母親は、養育家庭の親であった。


養育家庭という制度は、親側にとっては都合のいい制度だ。
嫌になったら途中でやめてしまえばいいのだから。
この記事を読んで、そんな制度があるのかと驚いてしまった。


この記事でも書かれているように、社会でもっと子どもを育てる仕組みのようなものがあればいいのにと思う。


孤児院や幼児施設は今でもあるのかもしれない。
しかし、それだけでは根底の問題は解決しないように感じる。
血のつながっていない親のエゴイズムだけで、子どもを育てるのはどうなのかなあと思う。


もちろん、中には立派に育て上げる人もいるだろう。
しかし、日に当たらないところで、事件にはならないまでも、苦しんでいる子どもたちはたくさんいるのではないかと思う。


養育家庭という制度は、何を目的にしているのだろう。
昔からあるだけだという古い制度の名残ならば、早急に変えていかなければならない。

2011年9月2日金曜日

強気なポーズだけでも取れ

ライフハッカーの記事より。
「強気なポーズ」をとることで弱気な自分を乗り越えられる!?


体をひらいたり、仁王立ちをしたりして、強気なポーズをとるとストレスに対して強くなるという記事。


逆に、弱々しいポーズをした人は、耐えられる苦痛のしきい値が低かったそうです。つまり、肉体的にも精神的にも辛いことがあった時は、ちょっと強気に、あごをクッと上向きにすれば、文字通り気持ちも上向きになれます。


僕は人見知りのせいで、どこの現場でも弱気なポーズをとってしまいがちです。
これからは形から入って、嘘でもいいから強気なポーズをとってみようと思います。