2010年8月31日火曜日

地図を見ていて思ったこと

グーグルマップを見ていて思いました。

日本って世界から見ると、本当に小さな国なんだなあ。改めて思いました。

中央で生きている人はなかなか感じないことだけど、国境近くに住んでいる沖縄の人だったり、北海道の人だったり。

台湾がすぐそこだったり、ロシアがすぐそこだったりします。

近くに別の国があるというのは、やはり大変なことも多いでしょう。

国土の大きさから考えてみると、周りを大きな国に囲まれていながら、良くぞここまで発展してきたなあと改めて感心したのです。

つい先ごろまで、日本は経済で一位だった。

何だか不思議な国だなあと思います。

2010年8月24日火曜日

中国が来ている

最近の中国の勢いはすごいらしい。もう皆さんご存知のことだとは思うのだが、改めてここで再確認した。
経済発展の勢いが、日本のバブル時代を見ているかのようだという指摘もある。

人口も多いし、土地も広い。
政治的には共産主義体制だが、国民の中にも資本主義の楽しさが、浸透してきたのだろう。

5年前ぐらいに、ビジネスで中国へ引っ越すという知り合いがいた。
僕は、意味が分からず、単なるイメージだけで、
「なぜそんな危ない所に行くのだろうか。そんなに金がほしいのか」
と思ってしまった。

しかし、今となっては、その先見の明に驚きを隠せないでいる。
すごいわ。ビジネスマン、そして大人たち。

これからの中国市場には目が放せない。
とりあえず、恥も外聞も偏見も捨てて、中国をお客さんとして見ていく必要がある。
日本独自の文化を売り込むまたとないチャンスだ。

文化的にも似ているところがあるし、欧米よりは売りやすいのではないだろうか。

明石屋さんまの元気の秘密

毎日のようにパソコンに向かっている時間が長くなっている。
効率化を手に入れた反面、人類は何か貞節なものを失っている気がする。

いつものようにパソコンに向かっていて、ふとあることに気がついた。

画面に集中しているとき、作業に集中しているとき。
極端に呼吸量が減っているのである。

試しに周りの人にばれない程度に、口を半開きにして作業を行ってみた。
そしたら頭の回転の速くなること。

パソコン作業の多い人には、少しバカに見えるかもしれないが、口半開きをお勧めする。

明石屋さんまは、本番中も、休憩中も、プライベートもとにかくしゃべりまくっているという。
毎日2時間ぐらいしか寝ないともいう。
それでいて元気なのは、酸素の取り込み量が、一般人に比べて、尋常ではないからではなかろうか。

2010年8月23日月曜日

本を読んでいない

最近めっきり本を読んでいません。インターネット上の記事ばかりを読む癖がついてしまいました。

 

インターネット上の記事の方がバラエティに富んでいて、多様性があるので楽しいのです。

それに加えて内容が簡潔であり、しかもタイムリーな話題が多い。ついつい余計なものにまで手を伸ばしてしまいます。

 

それに比べて、本はひとつのテーマを深く掘り下げることに向いています。

ワンテーマを読み上げるのに、それなりに時間がかかることがよかったりするのかな。

 

 

本を読んでいないから、ひとつのことを続けるという集中力も落ちている気がします。
あれをやっては、こっちをやって、それを見ながら、結局何も考えていないという、よくない状態です。

 

電車に座って本を読んでいた昔が懐かしい。

もう一度、本生活を取り戻します。

2010年8月16日月曜日

8-6 広島

8月6日の広島の平和式典に、アメリカ大使が参加しました。

 

これは大きな一歩であると思います。

アメリカのパフォーマンスであったとしても、会場に足を運ばせた意味は大きい。

裏で何かしらのやり取りがあったとしても、こういうことを少しずつ積み重ねて変わっていかねばならぬのです。

いつまでも過去を引きずっていてもしょうがない。未来に向かって、何ができるのかを考えていかなければならないのだと思います。


アメリカは、嘘か本当か分からないが、核軍縮の方向に進んでいます。
おそらくコストカットの面が強いと思うけど。

 

アメリカの大衆雑誌、「LIFE」のWEBの記事でも、原爆の写真が取り上げられています。

Fallout: After a Nuclear Attack-LIFE 

 

日本は唯一の被爆国として、やはり後の世代に語り継いでいくべきものがある。
どうしてあんなにひどいことになったのか、二度と繰り返さないためにも、体験した国として、世の中に伝えていかなければならないと思います。

2010年8月15日日曜日

映像の力

とあるドラマを見ていて、ギクリとした瞬間がありました。

映像の力はすごいなあと思った。

主人公の青年のTシャツがめくれて、バーコードが背中に刻印されているのが見えるという決定的なシーン。

一瞬、チラッとだけ見える。

その1秒にも満たないカットで、世界がガラリと変わります。

これを文章にすると、どうなるのかなあと考えてしまいました。

「その時、彼のTシャツがめくれて、バーコードが見えたのだった」

なんて文章にされると、一気に覚めてしまいます。

文章の世界と、映像の世界。

両者はイコールで結べるものだと思っていましたが、映像にしか出せない世界、切り口がある。

そこに魅力を感じて、一瞬のカットにこだわる人がいる。

ちょっとだけその気持ちが分かりました。

ジャーナリズムの共存

面白い流れになってきた。

一般市民が、PCや携帯を使ってニュースを流すサービス「Allvoices」。

その配信者数が伸びてきているらしい。

市民ジャーナリズムのAllvoicesが全世界レベルで急成長--CNNに迫る勢い

今までのメディアは、一方的だった。

ツイッターやUstreamの誕生で、双方向のやり取りと自由な番組の配信が可能になってきた。

そして、ジャーナリズムの世界にも、自由が訪れようとしている。

大切なのは、プロとアマチュアのどちらが上かといったことではなく、プロの情報とアマチュアの情報を同時に受け取れる点にある。

判断するのは受け取る人次第。

そして、生きている人間が配信する情報が、世の中に数多く、同時に存在している多様性の時代がまた近づいた。

2010年8月13日金曜日

暗黙知について

暗黙知…ハンガリーの哲学者・社会学者マイケル・ポランニー(Michael Polanyi)によって1966年に提示された概念で、認知のプロセス、或は、言葉に表せる知覚に対して、(全体的・部分的に)言葉に表せない・説明できない知覚を指す。(WIIKIPEDIAより引用)

 

社会は膨大な暗黙知によって成り立っています。人々が長い年月を経て蓄積してきた、無限の知識と記憶によって。

これは改めて考えるとすごいことです。

 

 

しかし、驚いてばかりもいられません。暗黙知自体が間違っている可能性があるからです。
その元になる情報が間違っていたり、バイアスがかかっていたりするのは良くない。
こればっかりは、正しい情報を追求して、修正していくことも人類に課せられた大きなテーマです。

 

 

暗黙知について考えていて、思ったことがあります。

 

それは、他人の体験を自分のことのように感じてみることの可能性。
そして、その他人の体験を、自分の考えとミックスさせてさらに少しだけ新しいものを、世の中に提示して行くことの大切さ。

 

以前は、自分のオリジナルの作品を作ることに躍起になっていました。

でも、世の中に純粋にオリジナルなものなど存在しないのではないか。

ようやくそう思えるようになってきたのです。

 

人間一人が限られた時間の中でできることは、無限の可能性を秘めているが、あまりにも少ない。

一人で完成させるよりは、今まで積み重ねられてきた暗黙知を積極的に利用することによって、アイデアの数を出していくことのほうが効率的です。

 

これからの時代には、暗黙知の積極利用、アイデアの共有という概念がさらに重要になってくると思います。

あらゆるジャンルの人々が正確な情報を広く世の中に公開して、世の中の力に、自然の働きにもう少し任せてみてもいいのではないかと思います。

2010年8月11日水曜日

セロトニン

この間知り合いの人と話していて、うつの話になった。
その人に、僕はほとんど毎日うつ気味だと相談してみた。
すると、大概の人はそんなに重度のものではなくて、おそらくセロトニンの分泌量が減っているのだろうと話してくれた。

セロトニンとは「ノルアドレナリン」や「ドーパミン」と並んで、体内で特に重要な役割を果たしている三大神経伝達物質の一つです。
セロトニンは人間の精神面に大きな影響与える神経伝達物質で、セロトニンが不足すると、うつ病などの精神疾患に陥りやすいと言われています。

(快眠ライフ.comより引用)

なるほど、まったくその通りであると思った。
東京に着てから10年間、僕はずっとセロトニンの分泌量が少なかったのではないかと思う。
まあ、それが予期せぬエネルギー源となって、面白い発想を生み出す場合も芸術の世界ではあるから、一概に否定はできないけど。

 

何だか若い頃は、勢いで乗り切れていたけど、年を取ってくるとやはり自分の持っているエネルギーも減少してくる。
そんな中で、脳内ホルモンは、人間の生にとても大きなきっかけを与えてくれているのだと、改めて感じたのであった。

2010年8月9日月曜日

我慢

僕は秋葉原事件の加藤容疑者の気持ちが分かる。

彼を全く持って、特殊な人間だとは思わない。

 

 

やってしまったことは取り返しがつかない。

果たして彼に罪を償えるのかも分からない。

 

 

大切なのは、何をしてもいいけど、他人にだけは迷惑をかけてはいけないということだ。

 

 

みなそれぞれ苦しい思いを抱えている。

自分だけではないということ。

 

 

何でも思い通りにいくはずもないから、じっと我慢の気持ちも大切だということ。

 

 

己の命をかけるのは自由だが、人の命を奪う権利など、誰にもないと僕は思う。

2010年8月6日金曜日

団塊の世代

団塊の世代が、たちが悪いという話は何度か聞いていた。

そして、今それが何となく分かった気がした。

 

彼らには戦争体験がない。

右肩上がりの国の方針に従って、流れに乗ってやっていただけだから、自分の考えがない。

よって、若い世代に語る言葉を持っていない。

 

現在ではもういい年になって、様々な分野で既得権確保のために必死になっている。

新たな価値観への対応も遅いから、変化を受け入れるキャパシティも持ち合わせていない。

そして、貯蓄に走って金を使わない。

何故だか分からないが、元気だけはいい。

 

日本の経済的な発展は、もうそこまで期待していないが、国内でエネルギーが効率よく循環していくことを考えた時に、これだけ弊害になる存在もないのではないかと思う。

 

もちろん、一人一人を責めているわけではない。

中には柔軟に世の中に対応している人もいる。

しかし、集団としてまとまった時の力は、弊害になる。

 

時代は変わっていくものだということを、もっと認識して欲しい。

2010年8月4日水曜日

なぜ創作か

僕は世の中から争いと差別をなくしたいと本当に思っている。
究極の目標はそこにある。

 

しかし、現実には争いは絶えないし、差別だらけの世の中だ。
たった一人の力で変えるのは難しい。

 

だから創作なんだと思った。
自分がモノを作ることになぜそこまでこだわっているのか。

 

自分の作ったモノの世界には、争いや差別がないからである。
現実空間ではないかもしれないけれど、たった一瞬でも、ニュートラルな世界が作れる。
誰しもが感知できる世界、それが僕の目指していたことなのだろうと思う。

 

音楽、文章、絵画、写真、彫刻、ダンス。
何でもいいから誰にも邪魔されずに自分を表現する手段を持っていることが、これからは大切な気がします。

2010年8月2日月曜日

現代の母親

母親が子どもを虐待して、死なせていたニュースが流れていた。

 

 

今の時代、地域コミュニティも壊れているし、周りの助けもないから、一人で子どもを育てている母親はとても苦しいのではないかと思う。

 

 

コメンテーターが、「母親になる資格のない人が、子どもを育てているのは問題だ」と言っていた。

 

 

自分も含め、大人になりきれていない人が多いような気がするのも事実である。

 

 

 

地域は周りから通報することしかできない。

強制権をもっている行政が、リスクをおかして介入していくほかないのである。

 

 

大切なのは、親を救うのではなく、子どもを一番に助けるという姿勢だ。

子どもにはまだ判断や自立の力はないのだから。