2010年8月13日金曜日

暗黙知について

暗黙知…ハンガリーの哲学者・社会学者マイケル・ポランニー(Michael Polanyi)によって1966年に提示された概念で、認知のプロセス、或は、言葉に表せる知覚に対して、(全体的・部分的に)言葉に表せない・説明できない知覚を指す。(WIIKIPEDIAより引用)

 

社会は膨大な暗黙知によって成り立っています。人々が長い年月を経て蓄積してきた、無限の知識と記憶によって。

これは改めて考えるとすごいことです。

 

 

しかし、驚いてばかりもいられません。暗黙知自体が間違っている可能性があるからです。
その元になる情報が間違っていたり、バイアスがかかっていたりするのは良くない。
こればっかりは、正しい情報を追求して、修正していくことも人類に課せられた大きなテーマです。

 

 

暗黙知について考えていて、思ったことがあります。

 

それは、他人の体験を自分のことのように感じてみることの可能性。
そして、その他人の体験を、自分の考えとミックスさせてさらに少しだけ新しいものを、世の中に提示して行くことの大切さ。

 

以前は、自分のオリジナルの作品を作ることに躍起になっていました。

でも、世の中に純粋にオリジナルなものなど存在しないのではないか。

ようやくそう思えるようになってきたのです。

 

人間一人が限られた時間の中でできることは、無限の可能性を秘めているが、あまりにも少ない。

一人で完成させるよりは、今まで積み重ねられてきた暗黙知を積極的に利用することによって、アイデアの数を出していくことのほうが効率的です。

 

これからの時代には、暗黙知の積極利用、アイデアの共有という概念がさらに重要になってくると思います。

あらゆるジャンルの人々が正確な情報を広く世の中に公開して、世の中の力に、自然の働きにもう少し任せてみてもいいのではないかと思います。