2010年10月29日金曜日

世界言語はやはり英語なのか

英語を勉強していると、日本語って本当に複雑な言語だなあと思います。
漢字、カタカナ、ひらがな、それらを駆使して表現される世界の広さは見事です。


これからインターネットで世界がますますつながっていく中で、障害になるのが言語の違い。


みんな英語でいこうとなれば簡単なのでしょうが、そうなると各国の微妙なニュアンスが失われてしまうかもしれない。


世界統一言語みたいなものは作れないのだろうか。


そんなとき、面白い話を目にした。


科学者が集まる会合みたいな所で、スイスの科学者がこう言ったらしい。


「みなさん、ここでの共通言語は、下手な英語です」


何だかほっとした。下手な英語をとにかく試してみよう。

2010年10月27日水曜日

脳機能科学と瞑想

最近ふと瞑想をやっていないことに気づいた。
何かに取り掛かる前に、体の準備と脳の準備をしておくのはとても大切なことです。
時間がもったいないからといって準備を怠っていると、すべてむちゃくちゃになってくる。


僕は宗教の類が嫌いです。
世にはびこっている宗教というものは、結局誰かにお金が集まるようになっていたり、全人類に適応できず、争いが起こったり。
それは合理性の面からいって、間違っている。


そんな中で瞑想というものは、誰も傷つけません。
自分の力を完全に引き出そうというものだから。


瞑想のやり方についてはここでは詳しくは書きません。
僕がいいなあと思った、苫米地英人氏の著作を10冊くらい読んでください。
彼は数学も哲学も勉強している、ものすごい頭のいい人です。
数学一辺倒で人間の心をないがしろにしている人や、哲学ばかりに走っていて論理がむちゃくちゃな人がいます。
彼は両方突き詰めているので、僕は非常に信頼をしています。
彼は、ゲーテルの不確定性原理をもとに、まず世の中に神は存在しないことを前提にしています。
世の中に絶対確実なことはないことが数学で証明されている。1980年代くらいです。
つまり、絶対的な存在である神はいないということです。
だから、神とか、絶対に変わらない存在をあがめていたりするのは、全部嘘です。


僕が今回何を言いたいのかというと、脳の使われていないところの可能性について、思ったことがあったのです。


人間の脳の使われていない90パーセント以上の部分について。
僕は仮説を立てました。


その部分には、過去の自分の祖先の情報が全部入っているのではないかという仮説。
人類が誕生して、自分にいたるまでの経験やら、考えたことなんかが全部情報として入っているのではないか。


危機的状況、極限状況に自分が追い込まれたとき、過去の祖先の遺伝子が何らかのヒントを現在の自分に与えてくれるのではないかと思ったのです。


サッカー選手なんかで、あの時のパスは自分でも何でできたのかわからないといった発言をする人がいます。
それは、極限状態において、過去の祖先の盗人だった、八兵衛の脚力情報がそうさせたのかもしれない。


だから、ここまでいろんな競争を勝ち抜いて、現在に存在しているというだけで、それぞれの人間はかなりの能力を持っているんじゃないかとおもいます。
現代のシステムにうまくはまらなかったりするだけで、自分をおとしめる必要もないし、そのシステム自体が間違っているかもしれない。


よく分かりませんが、人類というものが一匹から始まったのなら、現代に生きるそれぞれの人間も、脳の中に必ず同じものを持っている気がするのです。
そこを刺激したら、無駄な争いなんかなくなると思います。それが何なのか分かりませんし、一匹から始まったのではないのかもしれませんが。


別に宗教の誘いでもないし、苫米地英人をあがめているわけではないので、気にしないでください。
みなさんの何かのヒントになればいいなあと思って。


とりあえず僕は、瞑想を毎日やろうと思います。
まあおそらくそんなに難しく考える必要はなく、女性なんかはお風呂場ですんなりとやっていることなのでしょうが。

2010年10月25日月曜日

情操教育について


情操教育(じょうそうきょういく)とは、感情情緒を育み、創造的で、個性的なの働きを豊かにするための教育、および道徳的な意識や価値観を養うことを目的とした教育の総称。(WIKIPEDIAより引用)


今までの教育というものが見直されている。試行錯誤していくのはとても大切なことだ。


少子化、ゆとり教育、偏差値教育。
現在の教育が、いいも悪いも大学入試に向けたものであることは間違いないだろう。


しかし、時代も変わってきた。
大卒だからといって、就職できる時代は終わった。
いま求められているのは、新たな仕組みを考え出すことができる、アイデアだ。


大卒の人は、やはり情報処理能力が高い。それだけ、勉強してきたのである。
でも、処理能量力の高さが、イマジネーションに直結しているかというとそうでもない。
ただ頭のいいだけの東大卒が企業に入ると使いづらいという話もある。


僕が思ったのは、この流れは変える必要がないが、さらに時間数において、教育が必要になってくるということだ。


今までの、世の中のラベルを教えていくことに加え、それらを統合した内容が必要になってくる。
デジタル化が進めば、ラベルの内容がわからなければ、ある程度自分で調べればよい。


それよりも、それぞれの内容を統合することが必要になっていく。


たとえば、


・お母さんを音にしてみる
・工場の音を絵にしてみる
・モナリザの絵を見て、誌を書いてみる
・市場のおじさんの様子を見て、環境を考える
・文房具屋のおじさんの話を聞いて、経済を考える。


つまり、正解のない問題をより多く扱っていくことが、子どもたちに必要なのである。


何を言っているか、自分でも分らないが、将来のために記録しておく。

2010年10月22日金曜日

雪国まいたけとグラミン銀行

日本で圧倒的なまいたけのシェアを誇る、雪国まいたけとグラミン銀行が合弁会社を設立した。


雪国まいたけ、グラミン銀行グループと合弁会社設立へ


これからは社会貢献をビジネスにする流れが加速していくと思われる。
一方的な金銭的支援を行うのではなく、お互いの会社、国にとって利益になるような関係の構築が重要なのだ。


企業の社会的責任(CSR)も新たな段階に入っている。
意味のわからない奉仕活動をやるのではなくて、その活動をとおして、企業も利益をあげようということになってきている。


僕はそれでいいと思う。
企業の宣伝にも、社会的貢献にも、そして途上国の雇用促進にもなる。
全くもって無駄な部分がない。
そういった全体から見たコスト意識がこれからはさらにシビアになっていく。


社会貢献を金にするなという意見があるかもしれない。


しかし、心配はご無用。
金がからもうが、無償でやろうが、結局は人の心が動かなければどうしようもないという原則は変わらないのだから。

2010年10月20日水曜日

民主主義について

民主主義(みんしゅしゅぎ)、または民主政民主制[1](democracy)とは、諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制をいう。(WIKIPEDIAより引用)


日本には民主主義があるかと思っていた。
アメリカばりの、個人主義、民主主義を明治維新あたりで輸入してきたものだと思っていた。


しかしである。
夏目漱石も、福沢諭吉も唱えていた個人主義、そこから派生してくる民主主義は、まだ全然日本に定着していないのだと思った。


何だか悲しくなってしまった。
経済分野で世界各国に肩を並べたからといって、社会システムが最高に達しているわけではなかったのだ。


それはなぜかと言われたら、やはり、日本には下からの体制獲得という出来事がなかったからだろう。


アメリカは、国を愛しているから批判する。場合によっては打倒しようとする。
それが、個人の権利として認められているし、各州の権利として認められている。
そういった、社会の成立状況がある。
だからこその民主主義、個人が集まった結果としての国家なのだ。


日本でも真の民主主義が定着することを願ってやまないが、その確立には相当の時間がかかるだろう。


まずはインターネットで、その芽が出てくることを願ってやまない。
最初は匿名性の掲示板でも構わない。


そのうち、しっかりとした個人の意見を持った人が出てくるだろうから。

2010年10月18日月曜日

農業体験

日本にはボランティアの精神が基本的にない。
募金の類はあるが、それは真のボランティア精神には反している気がする。


自分の体を使って、他者に奉仕するというシステムがない。


そこでこれから流行りそうなシステムを考えてみた。


一泊二日のパッケージツアー。
他の旅行者と生活をともにして、農業体験というのはどうだろうか。


旅行気分と、ボランティアの精神を同時に味わえる。
他者との偶然の出会いがある。
普段味わえないような体験ができる。


交通費と食費のみ。
後はただ働くだけ。


農家側も、そのシステムを利用して、簡単な作業をそのツアー参加者に手伝ってもらうのである。


農家側も、参加者も、なかなか結びつく機会はないだろうから、その仲介を行う旅行会社みたいのが出てきてもいいような気がする。


まあ、いろいろ実行に移すには条件があるのだろうが、アイデアとして保存しておく。

2010年10月15日金曜日

愛国心

僕が小学校、中学校の頃の歴史教育。
何だか振り返ってみると、日本は戦争中悪い事をしたんだということばかり教育されてきた気がする。


そんなことばかり言われてきたら、子どもながらに、日本は悪い国なんじゃないかというイメージがついてしまう。
愛国心なんか育つわけがない。


愛国心に対しては、僕も何だか、持つこと自体が悪い事なんじゃないかと思ってきた。
たとえそれが敗戦国に対する、アメリカの教育方針に則っているとしても、ここらへんで変えていかないといけないのではないだろうか。


要は愛国心とは、プライドの問題なのではないかと思う。
自分の生まれ育った国に対して、プライドを持てるかどうか。


自分の子どもに対して、
「お前はダメだ。悪い事ばっかりして。クズだ」
と年がら年中言い続けていたら、そりゃプライドをズタズタにされた大人になる。
それは将来的な反抗になって帰ってくる。


そうではなくて、悪い事をした事実は認めさせながらも、プライドの部分はしっかりと保ってやらないとダメなのだ。
「それをやってはダメだろう。しかし、君はかけがえのない存在だ」


戦争を行ったという事実。そして、そこに向かった状況を正確に伝えていく。


そして最後に、やっぱり戦わなければならないときがあることを教えなければいけない。
理想と現実があることを教えなければいけない。
愛する人を守るために、あなただったらどうしますかということを、子どもたちに問わなければならない。


様々な局面において、ぼーっと立って見ているだけの人間を育ててはならない。


自分たちが望んでやったにしても、ここまでプライドのない人間が育ってきて、アメリカもさぞかし驚いているに違いない。

2010年10月13日水曜日

理想

この間映画を観ていて思ったことがある。
それは、人間の描く理想≒ちょっと先の未来なのではないかということ。



映画に描かれていることなんて、所詮空想の世界だよと言う人がいる。
まあ実際そりゃ大人がカメラとか使って、一生懸命製作しているんだけど。



現実問題に終始していると、想像力も落ちてきて、理想も描けなくなってきます。
未来を描くことが何だかばかばかしくなってきたり。
そんな時は人間の叡智の詰まった映画を観ることで、想像力を取り戻せばいい.



地球から20光年離れたところに、人間が住むことのできる惑星が発見されたそう。
何だかUFOだ、宇宙人だとか言っていた人も、昔は馬鹿にされていたけれど、段々と歴史が人々の想像力に追いついてくるだけなのかもしれないなあと思いました。



だからいつも想像力を働かせていれば、自然と少し先の未来も感じられるようになってくるのかもしれない。
とにかく色んな手段を使って、想像力を衰えさせないことが、よりよく生きていくために必要なのかと思いました。

2010年10月11日月曜日

本当の平和とは何か

日本人が平和ボケしているのは間違いないでしょう。
戦後60年大きな争いがなかった。それは奇跡的なことです。


国内は一見平和のように見えるけど、水際では様々な問題が起こっています。
尖閣諸島の問題だったり、竹島の問題だったり。


最近思うのは、平和というものは、努力の結果に勝ち取るものなのではないかということです。


日本人は生まれた時から、平和が当たり前のものだと思っている。
実際僕もそう思っていた。
誰かがやってくれているから、時分は関係ないといった、平和への無関心が進行しているような気がします。


理想から言えば、みんな仲良く、争いのない世界がいいのかもしれない。
でも、現実には個々の線引きはしっかりしておかないと、何でもありになってしまいます。
それぞれ考えている利益が一致するとも限らない。
現時点では、人類にまだ課題が山積みだということです。


何でもかんでも許していると、つけあがって来る人もいる。
大切な部分は、命をかけてでも守らなければいけない時がある。


そろそろ笑ってごまかしたり、見て見ぬふりをするのをやめて、一つずつ平和を勝ち取っていかなければならない時期に来ているのかと思います。

2010年10月8日金曜日

固定資産税

 僕は経済について、数字についてほとんど分からない。
難しいこと言われると、だから結局何なんだと思ってしまう。



税金についてざっと見ていた時に、固定資産税というものに対する疑問を思い出した。


固定資産税(こていしさんぜい)は、保有する固定資産について課税される地方税である。(WIKIPEDIAより引用)


なぜ自分の持ち物である土地や建物に対して税金がかかるのか。
お金を出して買ったんだから、それでオールオッケーなのではないのか?



誰か納得する答えを知っていたら教えてください。



ちょっとよく分からない。



昔知り合いのおじさんに聞いたら、
「そういうもんなんだよ」っていう答えが返ってきた。



他の国にもあるのかなあ。

2010年10月6日水曜日

国勢調査

国勢調査をインターネット上で行った。


東京都だけの試みらしい。


最初はちょっとめんどくさそうだったが、あれよという間に終了。


これができるんだったら、投票もできるんじゃないか?


候補者の演説動画流して、プロフィールを示しておいて。
国民のネット上での議論も認めて。


そうやって規制を緩めて、アクセスを加速していったほうが、みんなの関心は高まるんだと思うけどなあ。

2010年10月4日月曜日

映画の時間感覚

とにかく僕は音楽が好きなので、気分転換に音楽を聴くことが多い。

一曲4分くらいでお手軽だし、すぐに世界を変えられるところが音楽の魅力の一つである。

それに対して映画を観ることは、時間がかかるからと敬遠しがちになっていた。

しかし、俳優をやっている弟と話した結果、映画に対する見方が変わってきた。

人の人生を2時間ばかりで表現してしまう映画というものは、本当は効率的な創作物だと考えが変わってきたのだった。

音楽だったらテンションは変えられるかもしれないが、人間の根底の意識を変えることは中々難しい。

結局、2時間ばかりの時間を作れない自分に原因があったといっていいだろう。

映画をゆっくり観るくらいの余裕が、自分の人生に欠けているということなのだ。

2010年10月1日金曜日

コケの力

WIRED VISIONの記事からです。

コケが重金属廃水を浄化する

鉛を含んだ水から、コケの力を使って、鉛だけを取り出すことができるようになったみたいです。

まさしく、こういうことがまさしくエコなんじゃないかなあと思います。

今後は、レアメタルを回収できるように、開発を進めていくそうです。

いやあ、未来が広がる。