2010年10月27日水曜日

脳機能科学と瞑想

最近ふと瞑想をやっていないことに気づいた。
何かに取り掛かる前に、体の準備と脳の準備をしておくのはとても大切なことです。
時間がもったいないからといって準備を怠っていると、すべてむちゃくちゃになってくる。


僕は宗教の類が嫌いです。
世にはびこっている宗教というものは、結局誰かにお金が集まるようになっていたり、全人類に適応できず、争いが起こったり。
それは合理性の面からいって、間違っている。


そんな中で瞑想というものは、誰も傷つけません。
自分の力を完全に引き出そうというものだから。


瞑想のやり方についてはここでは詳しくは書きません。
僕がいいなあと思った、苫米地英人氏の著作を10冊くらい読んでください。
彼は数学も哲学も勉強している、ものすごい頭のいい人です。
数学一辺倒で人間の心をないがしろにしている人や、哲学ばかりに走っていて論理がむちゃくちゃな人がいます。
彼は両方突き詰めているので、僕は非常に信頼をしています。
彼は、ゲーテルの不確定性原理をもとに、まず世の中に神は存在しないことを前提にしています。
世の中に絶対確実なことはないことが数学で証明されている。1980年代くらいです。
つまり、絶対的な存在である神はいないということです。
だから、神とか、絶対に変わらない存在をあがめていたりするのは、全部嘘です。


僕が今回何を言いたいのかというと、脳の使われていないところの可能性について、思ったことがあったのです。


人間の脳の使われていない90パーセント以上の部分について。
僕は仮説を立てました。


その部分には、過去の自分の祖先の情報が全部入っているのではないかという仮説。
人類が誕生して、自分にいたるまでの経験やら、考えたことなんかが全部情報として入っているのではないか。


危機的状況、極限状況に自分が追い込まれたとき、過去の祖先の遺伝子が何らかのヒントを現在の自分に与えてくれるのではないかと思ったのです。


サッカー選手なんかで、あの時のパスは自分でも何でできたのかわからないといった発言をする人がいます。
それは、極限状態において、過去の祖先の盗人だった、八兵衛の脚力情報がそうさせたのかもしれない。


だから、ここまでいろんな競争を勝ち抜いて、現在に存在しているというだけで、それぞれの人間はかなりの能力を持っているんじゃないかとおもいます。
現代のシステムにうまくはまらなかったりするだけで、自分をおとしめる必要もないし、そのシステム自体が間違っているかもしれない。


よく分かりませんが、人類というものが一匹から始まったのなら、現代に生きるそれぞれの人間も、脳の中に必ず同じものを持っている気がするのです。
そこを刺激したら、無駄な争いなんかなくなると思います。それが何なのか分かりませんし、一匹から始まったのではないのかもしれませんが。


別に宗教の誘いでもないし、苫米地英人をあがめているわけではないので、気にしないでください。
みなさんの何かのヒントになればいいなあと思って。


とりあえず僕は、瞑想を毎日やろうと思います。
まあおそらくそんなに難しく考える必要はなく、女性なんかはお風呂場ですんなりとやっていることなのでしょうが。