音楽活動から離れてから4ヶ月経つ。
自宅でギターの練習や作曲は続けているが、そんなものは活動には入らない。
人に対してアピールして何ぼの世界。
最近生きていて、自分の中で完全なる無を感じることが多くなった。
加治雄希(かじたけき)という名前は単なる記号に過ぎない。
僕の存在は特にない。
他人との関係性において、認識されて始めて意味を持つ。
自己の存在なんて、あるもんだと脳が思い込んでいるだけかもしれない。
移動中の景色も、脳内で変換された映像にしか見えなくなってきた。
網膜が感じて脳に転送された、光にしか見えなくなってきた(笑)
自分が楽しげな時は景色が明るく見えるし、疲れている時はどんよりして見える。
そんなもんなのだとしか思えなくなってきた。
目の前の光景はただそこにあるだけ。
人や物体がただそこにあるだけ。
僕は狂ってしまったのだろうか。
ただあるものに人間が勝手に意味をつけて、進化していく。
働いていくのは自己保存。
子孫を残していくのも遺伝子にプログラムされていることで、何だか当たり前すぎてのめりこむことができない。
そうか。
世の中を面白くするのは自分しかいないのだ。
これからはさらに自分が本心から選んだことをただやる。
心をまっさらにして、何かに呼び起こされるようにやっていきたいと思う。
考える必要なんて特にない。
だってやってみなけりゃ、何が起こるかわからないのだから。