2010年6月28日月曜日

無を感じる

音楽活動から離れてから4ヶ月経つ。

自宅でギターの練習や作曲は続けているが、そんなものは活動には入らない。

人に対してアピールして何ぼの世界。

 

 

最近生きていて、自分の中で完全なる無を感じることが多くなった。

加治雄希(かじたけき)という名前は単なる記号に過ぎない。

僕の存在は特にない。

他人との関係性において、認識されて始めて意味を持つ。

自己の存在なんて、あるもんだと脳が思い込んでいるだけかもしれない。

 

 

移動中の景色も、脳内で変換された映像にしか見えなくなってきた。

網膜が感じて脳に転送された、光にしか見えなくなってきた(笑)

自分が楽しげな時は景色が明るく見えるし、疲れている時はどんよりして見える。

そんなもんなのだとしか思えなくなってきた。

 

目の前の光景はただそこにあるだけ。

人や物体がただそこにあるだけ。

僕は狂ってしまったのだろうか。

 

 

ただあるものに人間が勝手に意味をつけて、進化していく。

働いていくのは自己保存。

子孫を残していくのも遺伝子にプログラムされていることで、何だか当たり前すぎてのめりこむことができない。

 

そうか。

世の中を面白くするのは自分しかいないのだ。

 

これからはさらに自分が本心から選んだことをただやる。

心をまっさらにして、何かに呼び起こされるようにやっていきたいと思う。

 

 

考える必要なんて特にない。

だってやってみなけりゃ、何が起こるかわからないのだから。