2012年12月3日月曜日

富と幸福

現代ビジネスの記事より。
アダム・スミスの「生きるヒント」 第23回 「あなたが"不幸"になってしまう理由」


アダム・スミスの教えをもとに、現代社会で不幸にならないようにしようとする記事。


賢人は、必要以上の富は必要ないことを知っていた。

自分が「最高の生活」として憧れるような環境になったとする。そこで感じる幸せがある。でもその幸せは、今自分が経験している「つつましい生活」で感じる幸せと、ほぼ変わらない。

なぜなら、人間は慣れる生き物だから。
当たり前になってしまうのです。
そして、限界のない、上を目指すようになる。
周りの人を蹴落として手に入れた富によっては、
不幸しか感じれなくなるとアダム・スミスは言います。


現代社会で必要以上の富というものが一体どのくらいになるのかはわかりません。
富を求めることが悪いことだという考え方に陥ってしまうと、
それはそれで危険な状態であると思います。


問題は最低限の富がありながら、
幸せを感じられなくなっている状態。


なぜ、最低限の富がありながら、
幸福を感じられない状況に陥ってしまうのか。

自分の生活を不幸に感じたりするのは、自分の状態と「理想の状態」の差を過大に評価するからだろう。貪欲な人は、「貧しい人」と「裕福な人」の差を過大に感じるようになり、野心的な人は、身分が低い人の生活と高い人の生活は全く別モノだと感じている。

要するに、ほかとの比較から生じているものだということがわかります。
まるで仏教のよう。


アダム・スミスの賢人論で、僕に一番欠けているのは以下の部分でした。
賢人は、たとえ自分に災難が降りかかっても、やがては「大したことではなくなる」ということを理解している。そして、その時を予め見越して、最初から「大したことない」と思うように努力する。

どんな災難や不幸が降りかかっても、やがては、ある程度の傷は癒えるのです。賢人は「今は大変でも、やがてはこの傷は癒える」と認識し、「傷が癒えたら、もはや大したことではなくなる。その時を見越して自分を落ち着かせよう」と努力するのです。


幸福とは、心の平静状態を感じられることなのかもしれないと、
ふと思いました。
富の量とは関係ないところで、心の平静をいかに確保していくか。
幸せというものを考え直す、いい機会になった記事でした。