2010年4月29日木曜日

歴史とは何ぞや

最近、日本史の大まかな流れをまた一から勉強しなおしました。


事柄の流れはより一層分かったのだけど、求めているものと何か違う。

 


知り合いに民俗学を勉強している人がいて、たまに話をすることがあります。

彼から、歴史学と民俗学は同じようで、違うというのを聞きました。


歴史学は事柄に、民俗学は人に焦点を当てているのだと。


そして、彼は民俗学の話題の一例として、伝説上の天狗という存在が、どのように人間の間に生まれて、どのような流れで今のような鼻が長くて赤い顔になったのかという話をしてくれました。


しかし、これも求めているものとは何か違うのです。


僕が知りたいのは、歴史の中での大正デモクラシーでもなく、大正デモクラシーが人間にもたらしたものでもなく、日本が浮かれ、とまどっている時に、我関せずで飲んだくれていた長屋の半兵衛の目を通した大正デモクラシーなのです。

 

 

やはり想像して、勝手にお話を創るしかないのでしょうか。

 

 

半兵衛の話

 

「そうだね、牛肉ってのはちょっとかたいんだね。何だか俺は靴底を食ってるみてえで性には合わねえんだよな」