2011年8月24日水曜日

痛快憲法学

小室直樹著、「痛快憲法学」を読んだ。
現在では手に入りにくくなっているみたいだ。
僕は図書館で借りて読んだ。

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内容については、「トート号航海日誌(読書録)」より引用。
ちょっと長いが。


【第1章 日本国憲法は死んでいる】
日本国憲法は死んでいる。憲法典はあるが、憲法は生きていない。生きかえらせる
には憲法学を学ぶ必要がある。
【第2章 誰のために憲法はある】
憲法は国民に向けて書かれているわけではない。絶対権力・リヴァイアサンである
国家を縛るために存在する。
【第3章 すべては議会から始まった】
憲法や議会は歴史上、民主主義とはまったく関係ない。中世において、租税導入を
したい国王と既得権を守りたい貴族が妥協する場として設けられたのが議会であっ
て、そこで合意された最初のものがマグナ・カルタであった。しかし、民主主義とは
まったく関係なく作られたマグナ・カルタが原点となってイギリスの民主主義は生ま
れることになる。
【第4章 民主主義は神様が作った!?】
国王対貴族の争いは、貨幣経済の発達(貴族は自給自足に頼り、国王は商工業者か
ら税金をとっていた)によって国王が勝ち、絶対王政が成立した。このリヴァイアサ
ンに挑んだのが予定説を信じたプロテスタントである。予定説によれば、救われるか
どうかは神が既に決定していて人間には分からない。しかし、少なくとも予定説を信
じているということは救いのための必要条件であるので信じる。また、いつまで経っ
ても救いの確信が得られないので「信仰の無限サイクル」が生まれる。こうして片時
も信仰が頭から離れることのないプロテスタントが王権を覆した。
【第5章 民主主義と資本主義は双子だった」】
民主主義と資本主義は予定説から生まれた。予定説によれば絶対的権力を持つ神に
対して人間はちっぽけなものである。そこに神の下の平等という人間平等の観念が生
まれ、民主主義の土台となる。
また、予定説によれば、職は神が与えてくれたものである(天職)。したがって働
くことが神の意思に合致することになり、結果、いくら金持ちになっても働く。富は
否定されているのでお金は貯まる。反面、隣人愛に基づいて商品やサービスを適正な
値段で奉仕する。この隣人愛を合理的に行うという利潤最大化が、伝統主義を転換す
る資本主義の精神となった。富の否定が利潤追求を生むという逆説的な結果が起きた
のである。
【第6章 はじめに契約ありき】
中世までの伝統主義を終わらせたのが予定説だが、そこから新しいビジョンを作り
出したのはロックの社会契約論である。ロックによれば、人間は自然状態ではせっせ
と働き、富を増やして平和に暮らすことができる。しかし、中には働かない人もい
て、貧富の差が生じ、泥棒や殺人などの争いが起こる可能性がある。そうなると紛争
を裁定してくれる権威が必要となるので、人間は契約を結び、国家を作った。人民の
契約が国家の基礎となっているため、国家が契約違反を犯せば、人民は抵抗権、革命
権を行使できる。
日本国憲法も社会契約説である。しかし、日本では公約違反が平気で行われ、契約
が守られていない。しかも日本国民は公約違反に対して厳しい態度を取らない。社会
契約は死んでしまっている。
【第7章 「民主主義のルール」とは何か】
民主主義のルールとは、約束・契約を守るということである。これは西洋では、旧
約聖書以来流れているエートスである。しかし、日本では政治家は約束を守らない
し、国民も公約違反に目くじらを立てない。これが日本の民主主義の問題だ。
【第8章 「憲法の敵」は、ここにいる】
憲法の敵・民主主義の敵は民主主義である。なぜなら民主主義が独裁者を生むから
である。これは歴史的にも証明されている。ローマ共和制を帝政に変えたカエサルに
しろ、フランス革命後に皇帝となったナポレオンにしろ、ワイマール憲法下で独裁者
となったヒトラーにしろ、国民の絶大な人気を背景に独裁者となった。
【第9章 平和主義者が戦争を作る】
憲法9条は1928年不戦条約を手本にしている。しかし、不戦条約はかえって第二次
大戦を引き起こした。チャーチルは「平和主義者が戦争を起こした」と言っている。
ヒトラーは平和主義を利用して勢力を拡大していったのだ。
ヒトラーがヴェルサイユ講和条約を破棄し再軍備したとき、ラインラントに進駐し
たとき、そして、ズテーテンラントを要求したとき(ミュンヘン会議)、いずれのと
きも周辺諸国は平和主義に縛られ、ドイツ軍を一掃できたのにもかかわらず、軍隊を
使わなかった。その結果、ヒトラーは戦力充実に成功し、第二次大戦を引き起こした
のだ。
平和主義は戦争を招く。戦争をする決意のみが戦争を防ぐ。これが第二次大戦の教
訓である。現実問題、平和主義と軍備は矛盾しないのだ。日本も真の平和主義を目指
すのであれば、戦争研究をしなくてはならない。
【第10章 ヒトラーとケインズが20世紀を変えた】
20世紀前半まで民主主義は古典派経済学を前提としていた。ところが、そこで世界
恐慌が起こった。ヒトラーとケインズは公共投資こそが不況脱出策であることを見抜
き、前者は見事に経済を立て直した。
平成不況の原因は、民主主義精神の欠如に由来する。資本主義経済は民主主義が
あってこそ成立する。しかし、民主主義が欠如していた日本には真の資本主義は根付
かなかった。ヒトラーとケインズが有効需要で不況に打ち克てたのは、資本主義経済
を前提にしていたからであり、同じことをやっても前提が異なる日本には通用しな
い。
【第11章 天皇教の原理-大日本帝国憲法を研究する】
日本がまがりなりにもデモクラシーの国になれたのは天皇教のおかげである。伊藤
博文は大日本帝国憲法制定にあたって、ヨーロッパの憲法はキリスト教の伝統から生
まれたことに気づいていた。そこでキリスト教に変わるものとして天皇を憲法の機軸
に持ってきた。その結果、(1)天皇の下の平等によって士農工商の身分性がなくな
り、(2)日本は神国であることを信じたため予定説同様、余計なことを考えずに働
くエートスが生まれた。
しかし、天皇は現人神であるため、人民との契約が存在しない。このため日本人に
「憲法とは国家を縛るものである」という意識は定着しなかった。
それでも大正デモクラシーの頃は、議会の弁論で内閣が倒れるなど、立派にデモク
ラシーが機能していた。50年前まで身分制があったことを考えれば日本のここまでの
成長は誇りうる。
【第12章 角栄死して、憲法も死んだ】
大正デモクラシーまではうまくいっていた日本のデモクラシーは、国民、議会、マ
スコミが軍を支持することにより死んだ。デモクラシーを殺したのは結局デモクラ
シーだったのである。
戦後、憲法が死んだのは田中角栄が死んだからである。第一に、田中角栄は議員立
法を数多く手がけたデモクラシーの権化だった。第二に、ロッキード裁判では、刑事
免責が行われ、反対尋問が無視されるという憲法・刑事訴訟法違反が相次いだ。
【第13章 憲法はよみがえるか】
戦後の独裁者は官僚である。バブルを一気に破裂させてしまったのが土地をを担保
とした融資を控えるよう通達した大蔵官僚であったように、官僚は放っておけば悪く
なる。この官僚の弊害に気づいていた中国は、歴史的に貴族、宦官、御史台を官僚と
常に対立させてきた。日本では政治家がその役割を果たすべきであるが、官僚を制御
できる政治家はいない。よい政治家を作るのはよい国民しかいない。
戦後日本が悪くなったのは、GHQが天皇教の効用を理解せず、象徴天皇制を導入し
たからである。その結果、機会の平等は結果の悪平等、自由は放埓というように誤解
されることになった。また、天皇という憲法の機軸が失われた結果、急性アノミーが
起こった。人間は権威なくして生きていけないのに、権威を消してしまったため、秩
序もなくなったのである。
日本を復活させるためには、現実を直視すること、そして、民主主義を目指して
日々努力すること、これしかない。


彼のことは、このカジバノロンブンの「人物評」で取り上げたことがある。
小室直樹
非常に聡明な学者だった。現在はもう亡くなっているが、こんな人物が日本にいたのだということを知れただけで、非常に誇らしい気持ちになる。
彼の著作からは、毎回驚くような新たな発見があるのだ。


最近、民主主義とは、デモクラシーとは何かについて考えている。
まあ、自分の力では限界があるので、小室氏の力を借りることにした。


民主主義と言えば、議会で話し合って、多数決で決めることみたいなイメージがある。
しかし、この本では「民主主義」と「多数決」「議会」は全く関係の無いものだということが説明されている。


議会は民主主義の誕生以前にもう存在していた。
中世の貴族が国王に対して権利を主張するために議会は誕生した。
そこらへんの経緯が詳しく書いてある。
だから、議会があるから民主主義なわけではない、のだそうだ。


そして、多数決も議会をスムーズに運営させるための方法のひとつに過ぎないということが書かれてあった。
多数決で決まったからといって、それが民主的であるわけではないということ。
何だか引っかかっていたものが取れた気がして安心した。


小室氏は日本に民主主義も憲法も存在しないと言う。
僕もそうだと思う。
日本人が憲法を理解していないし、民主主義が何かを理解していない。


僕自身も、日本に民主主義、憲法がないことは実感としてわかる。
だが、民主主義というものが一体何なのか、どうやったら世の中で達成できるのかについての方法は、まだ思いつかない。


民主主義なんかなくても、そんなに難しく考えないで、平和に暮らしていければいいんだよという人がいる。
しかし、もう成長の時代は終わった。
誰かに頼って生きていける時代は終わったのだ。


一人ひとりがしっかり考えておかないと、取り返しのつかない状態に追い込まれる可能性がある。
日本に生きていくにしてもだ。


その前提として、民主主義が場の中に存在していることが一番効率がいい。


もしかしたら民主主義は日本にはいらないのかもしれないし、適していないのかもしれない。
しかし、僕はそのような国に生きるのは嫌だなあと思う。


日本を捨てるか、立て直すのか。
その分かれ道はデモクラシーの達成にあると思う。