2011年10月7日金曜日

ニコファーレという場所

BLOGOSの記事より。
田原総一朗が次世代の若者にジャーナリスト魂を叩きこむ
 
ジャーナリスト田原総一郎とメディアジャーナリスト津田大介の対談が、先日「ニコニコ生放送」上で行われた。
僕は実際にこの放送を見たのだが、新たなフォーラムの誕生を垣間見たきがした。
 

ニコニコ生放送(ニコニコなまほうそう)とは、ニワンゴが提供するニコニコ動画のサービスの一つでライブストリーミングの動画共有サービスである。略称はニコ生
 
 
ニコニコ生放送は設備が整っていればインターネットで誰でも見れる。
放送を行うことも自由である。
そして、TV局のようなしがらみがないから、タブーがない。
参加者も言いたいことが言える。



番組に対するツイッターやニコ生経由でのコメントも、会場のモニタにリアルタイムで反映される。
会場参加者への生の質問もリアルタイムで行うことが可能である。

ここまで様々な情報が飛び交う空間を生放送で見れるというのも、現代ならではの感覚だろう。


予算のなさから来る会場のセットの安っぽさが、胡散臭さを増徴させていたが、それは仕方のないことだ。
変にスポンサーがついてしまうと、それはそれで硬直化したテレビと変わらなくなってしまう。


これこそが民主主義だと感じた。
ギリシャの議会もこんな風に行われていたのではないかという気がする。
ソクラテスの周りにみんなが集まって、話を聞いていた様子が浮かんでくるようだった。



各地に散らばっている人間は、一度に集まることができない。
しかしコメント機能を使えば、いい意見、面白い意見であれば拾ってもらえる可能性が高まる。
バーチャル空間で、参加者が一度に集まっているのと同じような空間を体験することができる。
これはすばらしいことだ。



参加者の中で、意見を言う人が、やはり日本では特異な人に映ってしまう。
人間には様々な意見があることを理解した上で、各人がそれぞれ意見を言うことが当たり前になってくるとさらに面白くなってくると思う。



そのためには、この面白い取り組みがあと2、3回行われればいいだろうと思う。


放送で田原氏が言っていたこと。
今のジャーナリズムは相当駄目になっている。ジャーナリズムは、単純にいうと事実の追求だが、いまは無難の追求になっているんですよ。例えば、最近でいえば紳助の引退問題。週刊誌や新聞はすべて紳助の悪口。何が悪いんだよといいたい。暴力団とつきあっていたということだが、週刊新潮をはじめ週刊誌には何も書いていない。ただ悪いとかいてあるだけで中身はゼロ。


これからの事実の追求は、世界に生きる一人ひとりがやっていく時代になるだろう。
そういった場合に、ニコファーレのような場所ができたことは非常に未来を感じさせてくれた。