2011年2月11日金曜日

八百長なんか、どうでもいい

今回の相撲の八百長問題。

僕は相撲に八百長があってもいいと思っている。

それを分かっていて、楽しんでいる人もいる。


賭けの対象にもなっていた。


しかし、問題はそんなとこではない。




一番の問題は、八百長に加担しなかったもの、世界になじめないものを排除したことだ。


具体的に言うと、朝青龍を引退に追い込んだことだ。


相撲社会における掟を守らないものを排除する。


そういった排他的システムが問題なのだ。




朝青龍は強かった。


ただ強いということで人気があった。


普段の行動に問題があるとか、横綱の器が足りないとか言って攻撃していたのは、相撲社会の
ルールに従わない朝青龍への意味のない攻撃だ。


普段の行動は、相撲とは関係が無いプライベートの範囲。


器が足りないのは、外国人だからしかたがない。日本の文化を徐々に紹介して、よろしくお願いしますという姿勢があればよかったのだ。




こういった気持ち悪い体質、意味のわからない同調圧力は、日本社会の至るところに溢れている。


個人の能力や実力を、客観的に判断できない。


周りの空気を読むことや、集団の輪を乱さないことに力を使う。


そんなことを続けているから、その業界自体がつぶれてしまうのだ。



以前に朝青龍への意味のない攻撃について、僕は警告を鳴らしていた。


しかし、僕のような一般人の意見など、聞き入れてはもらえない。




相撲を愛する人たちにはガッカリである。


古い体質に安住しようとしていなかっただろうか。


大切なものを守ろうとする気持ちがあったのだろうか。


伝統でも、新しいことでも、とにかく変化していくしかないのである。


現代の日本を象徴している出来事だと言えよう。

ふがいなさに、悲しみだけが残る。