2011年3月9日水曜日

素人の面白さ

僕はかなりの人見知りであるが、人間が嫌いなわけではない。
人間一人ひとりの持つ、予想外の動きに恐怖を抱いているだけの小心者だ。
神経が過敏すぎるのだろう。



とにかく若い頃は、人に興味があっても、メディアに取り上げられた著名人に関心がいってしまう事が多かった。
大作を残した文学者だったり、破天荒な生き方をしたミュージシャンだったり、テレビでよく見る女優だったり。
出会いの数そのものが限定されていたし、情報を得る手段が限られていたからだろう。



そして、現実世界のつまらなさに、吐き気を催してしまうこともあった。
脳内世界と現実世界のギャップの大きさにとまどうしかなかった。
なぜそこで、コマネチをやらないのか。
素人に対して、そう思ってしまう事もあった。



ある程度社会を渡ってみると、ふとした段階から、みんな大体同じなんじゃないかというものを感じられるようになってくる。
年齢や職業の垣根なく話せるようになってくる。
得体の知れない者同士の、社会の一員としての会話ができるようになってくるのである。
そして、そんなことを続けているうちに、素人の面白さに気づいていくのである。



お笑いの世界だと、欽ちゃんの素人いじりは素晴らしかった。
現代だと、明石家さんまの素人の扱いは群を抜いているだろう。
欽ちゃんも、さんまも、芸人としてはもちろんのこと、人間としても芸人という枠を超越しているように見える。



素人は何をするか分からない。演出が施されていない、自然の状態なのである。
だからこそ面白い。
欽ちゃんもそんなことを言っていたような気がする。



そして僕が言いたいのは、この世の中のほとんどが素人だと言うことである。
レストランに来たお客さんは、在庫の数を知らない。
区役所に相談に来た人は、分らないから相談に来ている。



プロとプロとの話し合いのほうが、話がスムーズにいくかもしれない。
しかし、予定調和になりがちで、新たな発見は少なくなるだろう。
だからこそ、素人が面白いのである。
今この時代に必要とされているのは、演出の施されたプロではなく、何も知らない素人の存在である。
街には素人が溢れている。これほどのチャンスはないではないか。



そして何を隠そう、こういう僕は、人生の素人である。