2011年6月24日金曜日

幼児教育の転換点

シブヤ経済新聞の記事より。
ワタリウム美術館で「驚くべき学びの世界」展-イタリアの幼児教育を紹介


ワタリウム美術館には一度行ったことがあるのですが、実にアーティスティックな空間です。
渋谷といえば大都会のイメージがあるけど、ちょっと中心部を離れると、閑静な住宅街や自然にあふれた場所があります。
そんな渋谷の片隅で、イタリアの幼児教育プロジェクト「レッジョ・アプローチ」を紹介する「驚くべき学びの世界展」が開催されるそう。


同プロジェクトはアートの創造的経験によって子どもたちの可能引き出しているのが特徴。子どもたちの「驚き」を記録し、育て、分析を続け、光や物、場所、言葉、エコロジーなどをテーマにさまざまなプロジェクトを作り出してきた。同展は、2001年に同館で開催された「子どもたちの奪われた『100の言葉』」展の続編。「書くことの魅力」「場所との対話」「アイデアとプロジェクト」など6つのテーマで23のプロジェクトを紹介。


気になるテーマばかりです。


「レッジョ・アプローチ」とは何だろうと思って、調べてみました。
以下は、「保育園キディの実践とレッジョ・エミリアアプローチについて」からの引用。


レッジョの教育理念


でも、百はある。
子どもには
百とおりある。
子どもには
百のことば
百の手
百の考え
百の考え方
遊び方や話し方
百いつでも百の
聞き方
驚き方、愛し方
歌ったり、理解するのに
百の喜び
発見するのに
百の世界
発明するのに
百の世界
夢見るのに
百の世界がある。
子どもには
百のことばがある
(それからもっともっともっと)
けれど九十九は奪われる。
学校や文化が
頭とからだをバラバラにする。
そして子どもにいう
手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい
話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい
愛したり驚いたりは
復活祭とクリスマスだけ。
そして子どもにいう
目の前にある世界を発見しなさい
そして百のうち
九十九を奪ってしまう。
そして子どもにいう
遊びと仕事
現実と空想
科学と想像
空と大地
道理と夢は
一緒にはならない
ものだと。
つまり
百なんかないという。
子どもはいう
でも、百はある。
ローリス・マラグツツイ
田辺敬子訳


現時点で、僕も現実と空想のギャップに、頭とカラダがバラバラになってしまいそうです。


日本ではまだ本格的な導入はされていないみたいですが、ちらほら採用している幼稚園もあるとのこと。
つめこみ、ゆとり、日本の教育は時おり問題があると取り上げられるけど、意外と幼稚園教育から変えてみたらいいのかもしれません。