2011年8月31日水曜日

ヒュームと豆腐屋

池田信夫blog part2の記事より。
行動経済学の父ヒューム


彼のブログからは非常に勉強させてもらっている。
今までに僕がどうでもいいと思っていた経済分野の紹介をわかりやすくやってくれる。
彼の存在がなかったら、経済分野への関心は閉ざされたままだっただろう。
本当に感謝している。


この記事では、行動経済学のヒュームが紹介されている。
名前しか聞いたことない人物。
そして、やっぱり僕の人生にはどうでもいい内容だ。
しかし、記事の内容が非常に面白かった。


枠内は記事からの引用。

彼は「人間とは、絶えず変化し、動き続けるさまざまな知覚の束」だとした上で、そういう本源的にはバラバラの知覚の束が「私」という同一性をもつのはなぜかと問い、その答を記憶の保持に見出した。これはほとんど現代の脳科学と同じ結論である。この観点から、彼は法則や因果関係などの近代科学の概念を疑う。

人間は絶えず変化している。
自己の同一性を保つのは、「記憶の保持」があるから。
昨日の自分と、今の自分が同じであるという前提に自己の同一性が保障される。
明日の自分も、おそらくおなじだろうということ。
だから人間をやっていける。


ある対象に向かって愛着または嫌悪が生じるのは、快あるいは苦の予期からである。もしそういう原因や結果がどうでもよいものであれば、それがわれわれの関心を引くことはありえない。[・・・]理性はこの(原因と結果の)結合を見出すだけだから、対象がわれわれの心を動かしうるのは理性によってではありえないことは明らかである。

そして、完全なる理性というものは存在しないことが書かれている。
必ず、その前段階として感情の影響を受けるということ。
一見理性だけで構築されているようなものには気をつけろということだろうか。
必ずや、何かしらの感情、意図がそこには盛られているはずである。


すべての事実の逆もまた可能である。それは論理的な矛盾をきたさないし、他のすべての物事と同じように精神によって同様にたやすくはっきりと認識できるからだ。太陽があす昇らないという命題は、それが昇るという肯定命題と同じく意味があり、矛盾もない。

そして、近代科学への懐疑にいたる。
今日太陽が昇ったからといって、明日も太陽が昇る保証はどこにもないということ。


明日のことはわからない。
もうこうなってくると、全ての学問が言っていることは、全部おんなじに感じられるようになってくる。
そして、なんだかんだで、ヒュームが言っていることと、江戸川橋のとうふやの6代目が言っている内容もそう違わないような気がしてくる。


結局人間みんなそれなりにすげえんだろう、ということが言いたかった。