2011年11月25日金曜日

見つめてみよう

BLOGOSの記事より。
恐怖なしに生きる
 
 
恐怖から逃れるためにはどうしたらいいのか。
 
 
僕は最近環境がガラッと変わって、恐怖が格段に増えた。
まあその大半は、以前知らなかったことを初めて経験することから生じているのだろうと思う。
 
 
このブログの記事では恐怖の対象から目を外らすのではなく、しっかりと見つめることが大切だということが書かれてある。
 

恐怖の本質とは、不確実なことへの心の動き。わたしたちが人生を送る際、拠りどころとなるもの、思考の型や生活様式、信条や教条、常識(と信じているもの)……これらが乱されたり揺らいだりすると、未知の状態が生ずる←これが厭なのだという。不確かな別のパターンを作り出すことを、わたしたちは拒もうとする。その心の動きを、恐怖と呼ぶというのだ。
 
 
確かに、不確定要素から目を背けて生きていくほうが楽だ。
見ないようにして、その日を終わらせていくこともできる。
 
 
しかし、恐怖のほとんどが、しっかりと見ていないことから発生するのではないかということも段々分かってきた。
 
 
恐怖の対象をしっかりと見つめてみようと思う。
チラッと見るくらいでは何も分からない。
対象と一体になるくらいに見つめなければダメなのだ。
時間がない現代。
見つめるということの大切さが改めて問い直されてくるだろう。
あなたは毎日をしっかりと見つめているだろうか。