2011年3月16日水曜日

小室直樹

最近面白いなあと思う人がいる。
いろんな本を読んでいるうちにふと出会った大人物。
小室直樹という人である。



小室 直樹(こむろ なおき、1932年9月9日 - 2010年9月4日[1])は、日本評論家社会科学者、社会学者政治学者経済学者政治社会学者、政治経済学者、法学者、法社会学者。
東京大学法学博士(1974年取得[2])。東京工業大学世界文明センター特任教授。現代政治研究所(東京都千代田区)所長。(Wikipesiaより引用)
 
 
 
とにかく何でも知っている。
政治、経済、数学、社会学、法学。
一人の人間でこれだけ博学な人をそう見たことはない。
相当に頭がいいのだろう。
 
 
 
彼の著作を何冊か読んだが、『数学嫌いな人のための数学 数学原論』は面白かった。
数学が意味わからずに、嫌いになった人におすすめです。
難しい計算式みたいなものはほとんど出てこないし、わからなかったら飛ばせばいい。
もう、数学が一体何なのかの基本が分かりやすく解説されています。
 
 
 
この人のことを色々調べているけど、大体分かったのは次のこと。
あまりに真実を分かりすぎて、しかもそれをはっきりと分かりやすく言ってしまうので、社会から受け入れられなかったのではないかということ。
誰かにとって都合が悪いことをバンバン言ってしまうので、干されたのだと思います。
 
 
 
でも、彼の著作は現代に生きる人に相当の知識と真実を教えてくれる。
それを活かせなかった日本に、今の衰退の原因があると言っても言い過ぎではないくらい。
 
 
 
おそらく小室直樹再評価の時期が、いずれ来るだろうと思います。
その時に、日本が手遅れになっていなければいいなあと願うばかりです。

2011年3月11日金曜日

憲法を変えるということ

今日は憲法改正について考えてみたいと思います。



日本の憲法を改正することが、少し前に政治のテーマになりました。
安倍首相の時だったでしょうか。
その時はいつの間にやら改正の話は立ち消えになってしまった。
改正するのに、国会議員の3分の2の賛成と、国民の過半数の賛成が必要であるという条件も、改正を難しくしている事実でしょう。



とにかく、この憲法改正の手続きに対する条件が厳しすぎる。
おそらく、簡単には変えられないように作られたからだと思います。
そして、それが戦後60年以上も続いてしまった。
アメリカも、まだあの憲法を使っているのかとびっくりしたという話も聞きます。



憲法は単なる文章です。
本来なら簡単に変えることができるはず。
何だかもったいない気がします。



憲法改正の際にいつも争点になるのが、9条の問題です。
これを守ろうとする人と、日本独自で国を守ろうとする人の間に妥協点が見つからない。



僕は昔は9条を素晴らしいものだと思っていました。
理想を掲げた文章であると、誇りのようなものを持っていました。
でも今は、国家のことを少しだけ勉強して、やはり時代に合わせて変えたほうがいいのではないかと思うようになりました。



僕はどちらかに肩入れはしたくはない。
どちらが正しいかも分からない。
でも、9条を守りたい人に言いたいのは、やはりどんな分野でも時代に合わせて変えていくことが大切だということです。
守りたいから変える必要があるということです。
伝統や歴史を大切にすることと、いつまでたっても変わらないということは別であるような気がします。
だから、とにかく両方が話し合って妥協点を見つけるための舞台を作らなければならない。
反対ばかりして、舞台に上がらないのはちょっと卑怯であるような気がします。



まずは憲法改正の条件を変えることから始める。
そして、舞台をしっかり作って議論を深める。
争うことが目的ではないということ。
それが、社会の活性化につながります。



みなさんは憲法改正についてどう思われるでしょうか。

2011年3月9日水曜日

素人の面白さ

僕はかなりの人見知りであるが、人間が嫌いなわけではない。
人間一人ひとりの持つ、予想外の動きに恐怖を抱いているだけの小心者だ。
神経が過敏すぎるのだろう。



とにかく若い頃は、人に興味があっても、メディアに取り上げられた著名人に関心がいってしまう事が多かった。
大作を残した文学者だったり、破天荒な生き方をしたミュージシャンだったり、テレビでよく見る女優だったり。
出会いの数そのものが限定されていたし、情報を得る手段が限られていたからだろう。



そして、現実世界のつまらなさに、吐き気を催してしまうこともあった。
脳内世界と現実世界のギャップの大きさにとまどうしかなかった。
なぜそこで、コマネチをやらないのか。
素人に対して、そう思ってしまう事もあった。



ある程度社会を渡ってみると、ふとした段階から、みんな大体同じなんじゃないかというものを感じられるようになってくる。
年齢や職業の垣根なく話せるようになってくる。
得体の知れない者同士の、社会の一員としての会話ができるようになってくるのである。
そして、そんなことを続けているうちに、素人の面白さに気づいていくのである。



お笑いの世界だと、欽ちゃんの素人いじりは素晴らしかった。
現代だと、明石家さんまの素人の扱いは群を抜いているだろう。
欽ちゃんも、さんまも、芸人としてはもちろんのこと、人間としても芸人という枠を超越しているように見える。



素人は何をするか分からない。演出が施されていない、自然の状態なのである。
だからこそ面白い。
欽ちゃんもそんなことを言っていたような気がする。



そして僕が言いたいのは、この世の中のほとんどが素人だと言うことである。
レストランに来たお客さんは、在庫の数を知らない。
区役所に相談に来た人は、分らないから相談に来ている。



プロとプロとの話し合いのほうが、話がスムーズにいくかもしれない。
しかし、予定調和になりがちで、新たな発見は少なくなるだろう。
だからこそ、素人が面白いのである。
今この時代に必要とされているのは、演出の施されたプロではなく、何も知らない素人の存在である。
街には素人が溢れている。これほどのチャンスはないではないか。



そして何を隠そう、こういう僕は、人生の素人である。

2011年3月4日金曜日

クリエーターと消費者の垣根

インターネット上での、クリエーターと消費者の垣根が、どんどん壊れているようです。



現代ビジネスの記事より。
クリエイターに対価を還元する「Grow!」



このサイトでは、まず、ポイントを買う。
そして、応援したいと思った作品に対して、「Growl」 ボタンをクリックする。
実に簡単な動きです。



基本的に、クリエーターの作品は無料。
そして、作品やクリエーターの活動に共感を覚えた人が、ボタンをクリックする。



こんな流れが日本でも流行ってくれば、楽しくなります。 
このサイトをきっかけに、取り上げられるクリエーターが生まれるかもしれない。
そして、あなたのイタズラ書きが、3億円で取引される可能性も高まりました。

2011年3月2日水曜日

近視眼的

僕は中学に入った頃くらいから、急に目が悪くなってきた。
最初は席を前の方にしてもらうことで対応する。
そのうちどうしようもなくなって、メガネを導入せざるをえなくなる。
今では0.1あるのかどうかもわからない。



目が良い人は、おそらく見えている世界が違うだろう。
もっと景色が鮮やかだろうし、通りすがりの人の鼻毛の本数なんかも瞬時に分かってしまうのだろう。



最近はやたらと、対象物との距離が近くなってきている。
街には建物があふれ。
そこにきて、さらにパソコンだ。
慣れてしまっているが、よく考えたらとんでもない距離感の縮小が行われている。



近視眼的とはよく言ったもので、近くばっかり見ていると、考え方も近くばっかりを見るようになってくる。
大きな思考ができなくなってくる。
僕は人間の脳みそは、宇宙とイコールだと思っているが、実際最近の僕の脳みそは、パソコンの画面とイコールになってしまっていた。



たまに、いや毎日決まって、一回視野を大きくすることが大切なのだと気づいた。
広いところを見てみることが、大切だと思った。



何もパラオに出かける必要はない。
空を見上げればいいだけの話だ。



まだ、かろうじて、東京にも空があってよかった。