2012年4月25日水曜日

缶コーヒー

現代ビジネスの記事より。
『成功する人は缶コーヒーを飲まない』著者:姫野友美


本の紹介の記事だが、タイトルがギクリとする。
友人にこの本のタイトルの話をしたら、
「それは、成功している人が缶コーヒーを飲む環境にないだけなんじゃないのか」
と言った。


つまり、成功している人はいれたてのコーヒーを飲める環境にあるだけなんじゃないかということ。


僕は一日3本は缶コーヒーを飲む。
つまり、成功しないということだろうか。


毎日しっかりと動くためには、食事が大切だということ。
そりゃ痛いほどわかっているのだが。


記事のポイントは以下の通り。
1.タンパク質をしっかり摂る
タンパク質は脳の働きに欠かせない栄養素。脳の乾燥重量の40%はタンパク質でできており、脳をはじめ骨、皮膚、爪、血液、内臓をつくり、ホルモンや酵素、核酸(DNA・RNA)の材料となる。心身の基盤となるタンパク質をメインディッシュにしよう。
2.脳に必要なよい脂質を摂る
脂質は脳に約50%含まれ、頭の回転を速くする潤滑油の役割を持っている。脳の働きに必要となるよい油(不飽和脂肪酸)を摂って、柔軟な頭脳を育てよう。
3.精製された糖質を控える
吸収されやすい精製された糖質を食べすぎると、低血糖症になったり、内臓脂肪が蓄積して生活習慣病を招く。また腸粘膜の健康にも影響を与え、脳に必要なビタミンを浪費することにも。白米や麺類などの炭水化物のほか、清涼飲料水やスイーツ、スナック類の食べすぎに注意すること。
4.活性酸素を消去する
細胞を傷つける活性酸素は、速やかに消去すること。ビタミンA、C、Eなど抗酸化物質をこまめに摂り、活性酸素の原因となる糖質の過剰摂取をおさえよう。
5.腸内環境を整える
摂った栄養素をしっかり吸収するには、腸粘膜の健康がポイントだ。乳酸菌を摂って腸内細菌を増やす、食物繊維で腸内環境を整えるなど腸の健康づくりも忘れずに。


僕は上記5点の全く逆の食物を摂取しているような気がする。
不健康が続けられないくらい不健康になってきた。

2012年4月23日月曜日

タバコ=肺がんの嘘

BLOGOSの記事より。
タバコは吸った方が良いか、禁煙運動かのトリック(解説編)


かの有名な武田邦彦教授の文章です。

文章の要約は下の引用に尽きる。

肺がんの原因はタバコだが、タバコを吸うと肺がんになるというのは間違っている。


つまり、肺がんの原因=タバコ
であったとしても、
タバコを吸うこと=肺がんになる
とは限らないということ。


僕自身は喫煙者だが、世の中の禁煙ムードがなんだか気持ち悪かった理由がはっきりしたような気がする。


肺がん=タバコだと結びつけて議論をしようとする姿勢。


武田教授は、喫煙することを制限するのは、基本的人権に反すると言っている。
僕はそこまで思わないが、世の中が基本的人権に入りすぎだろうってことが増えてきた気がする。

喫煙している人と、禁煙運動をしている人を見比べると、喫煙している人は善良に見えるし、禁煙運動の人は善良には見えません。

2012年4月16日月曜日

金儲けなんて

現代ビジネスの記事より。
若者の「金儲け」離れは、「金儲け」の意義が実感できないから


若者というのはいくつくらいの人のことを言うのかわからないが、
まあ、20代くらいまでだろうか。


現代の若者が金儲けを望まなくなったということは確かにそうかもしれないと思う。
クルマを買わなくなったとか、持ち家なんていらないとか。


「若者」とひとことで言っても非常に多様ですから、もちろん例外はありますが、「ある程度の衣食住と、ネットに繫がる端末と、家族・友人とのつながりがあればそれで十分」といった価値観の人が増えているのは間違いないでしょう。

あきらめのような感覚が社会に蔓延していることも確かである。
右肩上がりだった時代も知らず、日本がこのまま終わってしまうような感覚を密かに感じ取っている若者たち。
今が良ければいいを地で行っているような若者たち。


成長しなくなった社会環境において、少ない収入で生活を楽しんでいこうとする人々の姿勢はわかる。
世の中に最低限のサービスがあり、安くてもいいものが行き届いていて、生活していく上での満足度が増している状況もあるのだろう。


若者に金をもうけてやろうという気持ちがなくなったのは、現状への満足が拡大しているというからだという指摘は以前からあった。
この現代ビジネスの記事で気になったのは、そういった精神論ではなく、今まであまり指摘されてこなかった以下の指摘。

もう一つの要因は、お金を儲けて税金を納めることの意義を、若い世代が体感できていないことにあるのではないでしょうか。

若者に限らず、私たちは「税金は無駄遣いされている」という観念からなかなか抜け出せません。収めた税金が無駄なく使われている、と一人ひとりが感じることができて初めて、金儲け=社会貢献という図式が成り立ちます。メディアの力をもってしても、「税金は無駄遣いされている」という観念の打破は難しいと思います。


世の中の報道を見ていると、税金が正しく使われているのか疑わしく感じられるようなニュースばかりが目立つ。
税金を払っているのがバカバカしくなるようなことばかり。


若者世代というのは、税金の恩恵を感じる機会も少ないのが実情。
身体が悪くて通院する確率も少ないし、地域社会での活動が多いわけでもない。


これからの社会は、金儲け=素晴らしいこと、だとはっきりと言える仕組みづくりを急がないといけない。
また、社会へ対する貢献が無駄にならないように、しっかりと跳ね返ってくるような仕組みを作らないといけない。
何だかバカバカしいっていうのが、現代の若者たちの意欲をそいでいることになっているのが非常にもったいない。
 
 
バブルは崩壊したのだけれど、またバブルを起こしてやろうとするような元気な若者が社会に出現してくれないと。
それはそれで面白くない社会になるのではないか。

2012年4月13日金曜日

インスタントな作品群

Chikirinの日記より。
「作り込み」と「ダダ漏れ」の間


メディアの作り方の違いを説明するChikirin氏。
既存メディアとネットメディアの大きな違いに、「作り込みレベルの差」があります。テレビ、新聞、雑誌や書籍など、既存のメディアは、ものすごい勢いで“作り込む”んです。


既存メディアは取材にものすごく時間をかける。
10分の映像に3日の取材。
キャスティングにしても一流を使い、とにかく作り込む。


それが現代人にはもう飽きられている。
予定調和と嘘くささに疲れきっている。
どこかで見たことのあるものばかり。
作りこめばいいっていう時代ではなくなったのかもしれない。


一方、ネットメディアは「ダダ漏れ」だ。
よくも悪くも嘘がない。
撮ったそのままが流される。
しかし、作りこんでないが故に、面白くない部分が多かったりする。

なんの背景もない壁の前で、公民館のテーブルみたいなところに、メークもしてないダラケた恰好の人が数人座り、なんのストラクチャーもない話を延々としてて、時々内輪話が紛れ込む・・・他の作業をしながら聞くのはいいけど、あれだけを集中して視聴するのは、ちょっとキツイです。


学園祭ノリの素人映像ほど、見ていて吐き気を催すものはない。


作り込みとダダ漏れの間で。
どこらへんに落としどころを見つけて視聴者に提示していくか。
作り込みメディアと、素人メディアの妥協点をうまく見つけていくことはできないか。


プロが素人臭さを追求したような作品がうけるのではと思ったが、
これは、もう奥田民生氏がやりつくしてしまった感がある。


予算もキャスティングも制限された中で、インスタントな制作時間でどこまで高められるか。
そこら辺の安価な機材も環境も、実はもうそろっている段階に来ているのでは?


そうだとしたら、後はアイデアが出てくるのを待つだけだ。

2012年4月11日水曜日

平等

「小さな政府を語ろう」の記事より。
よい平等、悪い平等 伝統の知恵に学ぶ


平等という概念が、社会で実現されようとして長い時間が経っている。

「平等」は至高の価値=正義なのか、 劣情に過ぎない=悪徳なのか。


平等という概念は、耳に心地いい。
あたかも社会において達成されるべき究極の目標のように聞こえる。
しかし、このブログでは平等を切り捨てる。

「かつて不平等の不利益を受けた人間は、それを埋め合わせるべく利益を受け続けることができるので」
平等になるまで敵対するものを攻撃する。
平になるまでブルドーザーでならしてしまう。

(努力なしで) えこひいきシローーー
ということに過ぎません。

まさにそのとおりであるなあと思う。


僕も世の中で使われている平等の意味には違和感を感じていた。
しかしながら、このブログの文章を読んで何だかスッキリとした。
 
 
平等を求めようとする動機が、単なるひがみのようなものに過ぎないということ。


実際に全てが平等になった社会を想像してみるといい。
みんな同じもの考えて、同じものを食っている状況ほど気持ち悪い状態はない。
そういうことじゃないだろうと、平等を求める人には言ってみたくなる。
 
 
そんな中、仏教での平等感がこのブログの中で紹介されています。


仏教での平等……あの世での平等、天国での平等
→俗世間に平等なんてもちこむんじゃないというのが仏教の教えだ   そうです。

 
結論から言うと、概念上、頭の中では平等はいいんだけど、実社会に持ち込んだらおかしなことになるということでしょうか。
 
 
僕は平等というものを追い求めるのは、ただ一つの局面だけでいいと思っています。
「チャンス」という局面だけ。


どんな人間にも、同じ目的の達成のためのチャンスがあってしかるべきだということ。


そこにやはりどの人間も平等だという前提が入ってきたらおかしなことになる気がする。


どんな人間でも首相になれて、どんな人間でもガンを治せるという状態。
それが真に進んだ社会。
平等の原理を間違えて社会は進んでしまったのかもしれません。